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トキワビル
入居者ファイル #54
伊藤一さん、新村繭子さん、笠原彰二さん(ミュージック クロニクル Yokohama〈ちぐさ保存会〉)

90年を超える長い歴史をもつ「ジャズ喫茶ちぐさ」(横浜野毛)の建替計画が遅れているなか、はじめはレコードや音響機材の良好な保管場所として入居がスタートした「ちぐさ保存会」。より活動を広げていくため、現在は3,500枚以上ものレコードの音を誰もが楽しめるリスニングルーム「ミュージック クロニクル Yokohama」として場所をひらいている。運営をおこなう「ちぐさ保存会」スタッフの伊藤一さん、新村繭子さん、笠原彰二さんに活動内容や受け継ぎたい思い、今後について伺った。

「ジャズ喫茶ちぐさ」建替計画のため関内へ

「ちぐさ保存会」が発足したのは2024年10月。
 
現存する最古のジャズ喫茶「ジャズ喫茶ちぐさ」(横浜野毛)では建物の老朽化により2020年から建替工事がはじまっていた。しかし、コロナ禍やウクライナ戦争の影響を受けて資材の価格高騰問題などが重なり、工事は難航。そのあいだに地下倉庫にしまわれていたレコードや音響機材はカビやホコリにより劣化がはじまっていた。そこで、元ちぐさのボランティアスタッフ7名が有志であつまり「ちぐさ保存会」を立ち上げ、救出をおこなうことになった。
 
トキワビルに入居したのは立ち上げ後すぐの10月10日。新村さんは「0(ゼロ)のかたちがレコードっぽいから」と笑う。

ちぐさ保存会の笠原彰二さん(左)と新村繭子さん(右)

「泰有社の伊藤康文さんとはもともと知り合いでした。文化的なことにも理解がある方なので、レコードや音響機材の保管場所を探していることを相談していたんです。たまたま『ここが空いているよ』ということで、このお部屋を紹介していただきました」

野毛での店舗から長く愛用されているイタリア製のテーブル、看板、演奏のため来日したアーティストのサイン入りレコード、礼状など貴重な品々を近くで見ることができる

退去時の現状復帰が必要ないため、壁や天井を黒く塗り、照明は廃業した吉田町のジャズバー「Little John」から譲り受けたランプを設置。メンバーの手づくりで空間をつくった。
 
笠原さんは「関内はアーティスト系のコミュニティが多いですよね。入居がはじまるころにビル屋上での集まりに呼んでいただいたのですが、『ちぐささんが関内にもやってくる』ということで、皆さんに好意的に受け入れてもらえたのでよかったです」と話す。
 
保管していたものを「大事な横浜の文化資産」として一般の方にも見せられるよう、翌年2月2日にグランドオープン。場所を「ミュージック クロニクル Yokohama」と名付けた。基本的な営業時間は平日12:00〜18:00・土日祝日13:00〜19:00で、ちぐさ保存会のボランティアスタッフ7名が交代制で店番をしている。入店時にはミュージックチャージ500円がかかるが、一般の方でも、豊富なレコードのリストから自分が聴きたい曲をセレクトできるようになった。

1970年代からお店で使用しているターンテーブル台。オーダーメイドのため中央には「CHIGUSA」の文字も彫られている。右奥にみえるのは、なんと約100年前の手回し蓄音機! 心をゆさぶられる音を奏でる

ジャズ文化を通じて地域に貢献していきたい

そもそも「ジャズ喫茶ちぐさ」とは、1933年に吉田衛さんがオープンしたレコード鑑賞喫茶だ。日本におけるジャズ喫茶としては2、3店舗目とかなり早い時期の開店だった。吉田さんの父が日本の美術品を海外に輸出するための梱包業をしていたそうで、おそらく外国の文化にいち早く触れていたのだろう。高級品だったレコードを「文化的にもっと近く、いろいろな人に聴かせたい」という思いで、地元の野毛にお店を開いた。しかし当時は「激動の時代」。第二次世界大戦で野毛は焼け野原となった。それでもまた営業を復活させ、野毛のまちづくりに関わりながらお店を守り続けてきた。

1号店の内観。1994年に吉田衛さんが他界されてからは妹と常連が引き継いだ* 撮影:森日出夫

2007年に地域の開発計画により閉店するが、地域や常連の熱い思いからふたたび営業再開に向けた取り組みが進められていくことになる。
 
野毛のまちづくり会の事務局をしていた新村さんは「ちぐさのレコードをもう1度見たい」という声を多く受け、地域におけるちぐさの存在の大きさを実感したそうだ。

「貴重なレコードやジャズ文化を、まちで管理して残していけたらいいなと思ったんです。2011年には東日本大震災がおこり、営業再開への動きが止まってしまったこともありました。でも、ちぐさには何度も災難を乗り越えてきた歴史がある。パワーのある音楽であるジャズを通じて地域に貢献していくことを、今こそ引き継ぎたいと思いました。当時は被災地で『出張ジャズ喫茶』もやりました。吉田さんの意思を受け継ぎ、人のつながりや地域間交流、さまざまな出会いをつくっていくことをこれからも続けていきたいです」
 
2012年に同じ野毛の、別の場所に2号店として営業を再開。その頃からは野毛本通りで『ジャズde盆踊り』を開催するなど、まちづくりのような動きも増えてきた。笠原さんは、そのイベント制作からより深くちぐさに関わるようになった。

「日本にジャズ文化が広がっていった起点になるお店。単なる喫茶店ではなく、歴史をつくってきました。吉田さんは町内会などまちとの関わりも大切にされていました。ジャズというツールを使って地域や社会に何ができるかをメンバーと模索しながら、活動を進めていきたいです」
 
2号店は「一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」が運営していた。ジャズ文化を推進し、地域の賑わいを創出していくという思いに共感したスタッフらにより営業されていた。しかし有志のため人手不足の問題もあった。ジャズが好きな伊藤さんは、はじめてちぐさを訪れたとき休業日だった経験からボランティアでお店の運営に関わるようになった。

ちぐさ保存会の伊藤一さん

「自分でジャズを聴きたいということもありますが、誰がいつ来てもお店にたどり着け、ジャズを聴ける場所であってほしい。ちぐさを残し、次世代に伝えていきたいです」

ここを発信拠点に、活動を続けていく

野毛の2号店が建替工事中のいま、「誰がいつ来ても」ジャズ文化に触れることができる場所として関内・トキワビルで営業が続いている。
 
2階ということもあり来客数は以前よりも減っているが、海外や他県の遠方からわざわざ「ちぐさ」をもとめて訪れる人も少なくないそうだ。また、関内の企業やアーティストとのコラボ企画もあるのだとか。工事が終わっても活動の拠点として、この場所の運営は続けていきたいのだという。
 
笠原さんは「われわれの方が出向いていく出張スタイルで、もっとジャズの面白さを伝えていきたい。まわりの方とコラボレーションしながら、興味深い音楽に関するコンテンツのものを広く発信していきたいです」と今後について語る。

トキワビル入り口。ちぐさの看板がOPENの目印だ *

多くの人びとの思いをのせて100年近く歩んできた「ジャズ喫茶ちぐさ」の歴史。「なんとか次へ繋ごう」という、これからを紡いでいく姿に、胸が熱くなるインタビューだった。トキワビル2階へ階段をのぼってすぐ右手、「ちぐさのジャズ文化」をぜひ体感してみてほしい。

PROFILE

ミュージック クロニクル Yokohama 〈ちぐさ保存会〉
伊藤一[いとう・はじめ]、新村繭子[しんむら・まゆこ]、笠原彰二[かさはら・しょうじ]
今回参加できなかったメンバーの方:髙橋清明、鈴木直登、上島洋、椎名純子
 
現存する最古のジャズ喫茶「ジャズ喫茶ちぐさ」が老朽化のために建替をする計画が諸問題で止まってしまい、そこで倉庫に保管されたレコードや音響機器を劣化から救済すべく保全とメンテナンスに向けたプロジェクト「ちぐさ保存会」が発足。ちぐさ再開までの間、管理・アーカイブしていくために「ちぐさ保存プロジェクト」を立ち上げて活動を始める(ジャズ喫茶ちぐさが正常に稼働できるまでの保管支援を行うための活動であり、本体のちぐさからは独立した業務委託のような形で進めていく)。活動自体は、ミュージック クロニクル Yokohama に属し、併行してジャズを通じた様々な企画や交流イベントも計画している。
 
ミュージック クロニクル Yokohama
レコードを聴きながら時間を過ごすジャズ喫茶型のリスニングルーム
基本時間:平日12:00〜18:00・土日祝日13:00〜19:00
*スタッフ交代制のため、営業日・時間が不定期になります。詳しくは公式HPのカレンダーでご確認ください。https://mcy-yokohama.studio.site/
*ご来店の際、ミュージックチャージ(500円)がかかります。
*セルフサービス・キャッシュオンのドリンクもあります。

取材・文:小林璃代子
写真:大野隆介 *を除く