「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回はトキワビルに事務所を構える前田篤伸建築都市設計事務所の代表・前田篤伸(まえだ・あつのぶ)さんにご登場いただきます。
4つの集合アトリエの経験から
トキワビル2階に事務所を構えるのは、住宅や商業施設、医療施設などの設計を手がける前田篤伸さん。東京、ニューヨーク、トロントの設計事務所を経て、横浜で独立して17年になる。前田さんが設計した泉区弥生台にあるフランス料理店「レストラン ペタル ドゥ サクラ」は、地域の魅力を生かした景観づくりが認められ、2017年、「第8回横浜・人・まち・デザイン賞」にて受賞した。
「今日は、横浜で複数の集合アトリエで活動してきたので、その経験を話せたら」と前田さん。初めて横浜に事務所を構えて以来、近隣で4度の引っ越しを経て、2018年に現在のトキワビルに入居した。その事務所移転の経緯をたどっていくと、「創造都市」としての横浜の一端も見えてくる。前田さんは、複数のクリエイターが同じ建物内にアトリエや事務所を構える「集合アトリエ」を、トキワビル含め4つ経験してきた。
2003年、静岡県出身の前田さんは、縁もゆかりもなかった横浜を独立の地に選ぶ。それは歴史ある建物への憧れからだった。
「トロントで働いていた事務所は、古い製粉工場を改装したビルでした。そんな趣のある歴史的建造物が横浜にあるかもしれないという漠然としたイメージが、横浜を選んだ理由の一つです」
だが思い描いていた空間は見つからず、まずはマンションの一室を借りた。2年がすぎた頃、かつての職場での先輩から「北仲BRICK&北仲WHITE」の話を聞いた。馬車道駅近くにある1920年代に建てられた、旧帝産事務所と旧帝産ビルディング。帝産倉庫の本社の移転に伴い森ビルの再開発事業の一環として、期間限定でクリエイターが50組ほど入居するというプロジェクトだった。前田さんはそのとき、ちょうど賃貸の契約を更新したばかり。「見るだけ……」と思って見学した北仲WHITEは、独立当初「事務所を構えるなら」とイメージしていたものそのもので、入居を即決した。
クリエイターたちの移転の変遷
「私が入居した北仲WHITEは、解体が前提でしたので、現状復帰も必要なくリノベーションが自由。家賃も市場と比べると低く、好条件でした。眠っている古い建物をクリエイターが使うことで、いずれ取り壊されてしまうとしても、そのビルや周辺がふたたびいきいきとするというか」
1年半の北仲BRICK&北仲WHITEのプロジェクト終了後、前田さんをはじめ入居していたクリエイターの一部が、近隣の本町ビルに移った。4階と5階に入居したことからプロジェクトの名称は「本町ビル シゴカイ」。北仲BRICK&北仲WHITEには当初からBankArt1929や建築家などを中心とした運営ボードがあった。シゴカイが動き出したときにも本町ビル同様、運営ボードをつくり、15にも満たない入居団体であるため、みんなで運営することになった。いわゆる自治会だ。
「シゴカイの運営から『関内外OPEN!』などのイベントへの共同参加まで、さまざまなことを話し合う場でした」
そして4年後、昭和初期に建てられた本町ビルは解体されることになり、シゴカイのクリエイターたちの多くは宇徳ビルへと移転。そこで「宇徳ビル ヨンカイ」として7年を過ごしたが、再び移転のときが訪れる。宇徳ビル ヨンカイのメンバーの一部はトキワビルに移った。
トキワビルで成熟しつつある、自治の意識
トキワビルでも、月に一度の自治会が開催されている。本町ビルや宇徳ビルは、集会への参加は入居の条件だったが、オーナーも違うトキワビルは任意となっている。だが、参加必須ではないにもかかわらず、自治会は交流の場として入居者の半分くらいが参加。また、屋上を考える屋上班や、菜園を担当する農業班、サインを考えるサイン班など、自主的な班も生まれてきた。ほかの泰有社のビルにはない、こうした入居者の自発的な活動は「横浜の集合アトリエの歴史のなかで、変わらないメンバーや新しい出会いもありますが、自治意識が成熟してきた実感もあります」と前田さんは話す。
「いま、トキワビルの入居者のなかで北仲、シゴカイ、ヨンカイといった横浜の中心的な集合アトリエにいたのは僕だけなんです。そういう流れもあって最初の段階から自治会への参加など、積極的に声がけなどをしていました。それが、『前田さんばかり毎回やってもらうのは悪いから、今度は私がやりますよ』と言って自主的にまとめようとしてくれる入居者が出てきてくれました。こうした経験は初めてかもしれません。月に一度の自治会も、自分ができることを持ち寄って、自分たちの環境を良くしようとしています」
無理のない範囲で、できることや、やりたいことを持ち寄る場所。そのことが自分たちの場所をよりよくすることにつながるのだろう。いろいろな目的を持った入居者がいるなかで、「それも含めてうまく考えて続けていけたらいいな」と語る。自治会はなぜ必要なのか、最後に改めて聞いた。
「例えば災害のとき、お互いに顔見知りの方が絶助け合いの精神も生まれます。また、それぞれの仕事を知ることで情報交換という意味でもプラスですし、そこから仕事が生まれることもありますよね。一番は、長い時間を過ごす自分たちの環境を自分たちで良くしましょう、ということなのかもしれません」
そんな前田さんは屋上の利活用を考える屋上班だ。「都心部には緑が少ないですよね。公園もありますが、公共性が高いので、自宅の庭のようには利用できません。そういう点で、屋上は可能性を秘めた空間だと思います。それと、ビルに囲まれた場所でありながら、空がよく見える屋上は心地いいんですよ。屋上が入居者にとっても価値あるものになるよう、工夫していきたいと思っています」
前田さんをはじめとする入居者の手で、進化するトキワビルの今後が楽しみだ。
profile
前田篤伸(まえだ・あつのぶ)
静岡県生まれ。1993年北海道大学大学院環境科学研究科修了、2000年コロンビア大学大学院建築学修了。小林克弘+デザインスタジオ建築設計室、Pasanella + Klein Stolzman + Berg(ニューヨーク)、Diamond and Schmitt Architects(トロント)を経て、2003年、前田篤伸建築都市設計事務所設立。住宅、商業施設、医療施設などを手がけている。
http://www.maedaarchitects.com/
取材・文:佐藤恵美
写真:加藤甫(*をのぞく)
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