「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回は泰生ポーチに暗室と展示機能をもつアトリエを構える、アーティストの北村和孝(きたむら・かずたか)さんにご登場いただきます。
山下ふ頭をポラロイドで記録する――マイプロジェクトのためにつくったアトリエ
昭和30~40年代の高度成長期に、横浜港を支えるふ頭として大きな役割を担った山下ふ頭。今でも船が停泊して、貨物や人が行き交う。横浜のレガシーと言えるこの場所を、ポラロイドカメラでおさめるプロジェクト「SITE BAY YOKOHAMA」に取り組んでいるのが、アーティストの北村和孝さんだ。
北村さんが泰生ポーチに拠点を構えたのは、2019年10月のこと。トキワビルに入居している高野萌美さんが自らのアトリエで企画した、窪田久美子さんの展示を見たのがきっかけだった。「古いビルの一室を、こんな風に展示空間としてリノベーションして使えたら理想的だなと思ったんです」。その後、すぐにオーナーの泰有社と連絡を取り、空室のあった泰生ポーチの一室をほぼ即決で契約したという。
目指したのは、暗室を兼ねたスタジオとしても、展示空間としても使えるアトリエだった。「壁一面を黒く塗るだけでも結構大変で(笑)。展示用の備品は階段からは入らなかったので、窓から搬入したんです」。入居して新年が明けると、すぐにコロナ禍が始まってしまった。現在は、一人で手掛けたリノベーションの工事がやっと終わったぐらいの感覚だと笑う。
もともと横浜出身で、このエリアにも愛着をもっていた北村さん。マイプロジェクトのためのアトリエを手づくりでオープンした実感を聞いた。「こうして展示して見ていると、今後の作品に向けたイマジネーションがふくらんでくるんですよ。そこがやっぱり違いますね」。
昭和のレガシーをとらえる「SITE BAY YOKOHAMA」
泰生ポーチにアトリエを構えたのと同時に、北村さんは「SITE BAY YOKOHAMA」に取り組みはじめた。被写体として選んだ山下ふ頭には思い入れがある。「父が長年、山下ふ頭の港運会社で働いていたんです。幼心に、すごく活気のある場所だという憧れがありました」。
横浜市は2019年8月の記者会見で、山下ふ頭にIR(統合型リゾート)を誘致し、2020年代後半の開業を目指すと発表。その後、幾度もの市民説明会を開催し、その必要性を訴えてきた。コロナ禍で計画は中断しているものの、市民にとって政治的なイシューとして関心をもたざるを得ない場所となった山下ふ頭だが、「アートで政治に“反対”などの意見を表明するのは、違うと思うんです。アートは問題提起だから。作品を提示することで、誰かが何かを考えはじめるきっかけになってもらえたら」と北村さんは言う。
かつて山下ふ頭にあった倉庫群も、今では半数ぐらいに減ってしまったそうだ。一方、赤レンガ倉庫をはじめとし、歴史ある建物を観光拠点や文化施設に活用する取り組みは横浜ならではの風景でもある。明治や大正期の歴史は残るのに、昭和の建築は負の遺産としてどんどん壊されてしまう。それらが産業優先のコンクリート製であることが多いとはいえ、100年、200年後には価値あるものになる。「横浜の発展を支えた時代を、ほんのすこしでも振り返ってもらいたい――」。そんな思いから、北村さんは山下ふ頭をポラロイドで記録し続けている。
河原淳、原口典之、田中泯――若いころに出会った美術界の巨匠たち
絵が好きな子どもだった北村さん、中学時代は少年マガジンの編集部に自作漫画の持ち込みをしたこともあったという。その後、油絵や美術史に興味の対象が移り、高校卒業後はデザインの勉強をしてグラフィックデザイナーとして仕事を始めた。
当時通った「現代デザイン研究所」は、美術家・河原温の兄で、イラストレーター/デザイナーの河原淳が自宅で開いていたもの。その界隈で、泰生ビルに入居するnitehi worksの稲吉稔さんに、北村さんは出会っているという。
「稲吉さんとは30年来の知り合いです。『美術が好きならBゼミという学校があるよ』と教えてくれたのが彼でした」。それから数年後になるが、ファインアートの世界に飛び込んでみたい気持ちに動かされ、Bゼミスクーリングシステム(通称Bゼミ)に通いはじめた。そこでは美術家の原口典之らに師事することになる。
「舞踊家の田中泯さんらが山梨県の山中で始めた『アートキャンプ白州』に、原口さんが作品を設置するということで、僕らもついて行って手伝ったことがあったんです」。今では伝説的に語りつがれるアートイベント「アートキャンプ白州」(1988年~98年)。そこでは若いアーティストたちが、農業で自給自足しながら創作をしていた。その姿に若き日の北村さんは大きな衝撃を受けた。「アートで食べていける人はほんの一握り。だからこそ生活の基盤を別にもつ方法論があると知って、可能性を感じました」。
ポラロイドカメラで作品をつくる
美術の教科書に出てくるような巨匠たちの影響を受けながら、北村さんはその後、映像作品やインスタレーションの制作にも取り組んだ。当然、作品を記録として残すため、記録写真を撮るようになる。そこからアート表現としての写真に行きついた。
当初は一枚もののポラロイドではなく、すこし変わったフィルムカメラをメディアとしていた。だが使っていたフィルムの生産終了をきっかけに、ポラロイドカメラで撮影するようになる。
アトリエに展示された作品は、モノクロのものもあればカラーのものもある。「天気のいいときはカラーで撮る方が楽しい。その程度の違いで、そんなに深くは考えていません」と北村さん。撮影するときに大切にしているのが「コンポジション」だ。「絵と同じで、どんな構図、色やコントラストで見せるかを考えながら撮影しています」。
「アートキャンプ白州」のように農業ではなかったが、北村さんは生活の基盤を別にもちながら、今も創作を続けている。新型コロナウイルス感染拡大を受け、今後の活動については「古い考えにとらわれず、オンラインギャラリーなどできることを模索していきたい」と話す。
気軽にオープンスタジオの機会がもてる状況になったら、ここに展示されたSITE BAY YOKOHAMAも一般に開かれるだろう。そのときにはぜひ、泰生ポーチを訪れてほしい。
PROFILE
横浜市生まれ。1993年Bゼミスクーリングシステム卒業。1999 年CCA北九州修了。90年代は主にWEB上で動画作品を発表する技術を研究していたが、以降フィルムカメラで撮影したモノクローム作品のプリントや、自家現像のカラープリント作品を制作。現在は、主に横浜港でポラロイドカメラによる表現を追求している。
取材・文:及位友美(voids)
写真:加藤甫
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