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トキワビル
入居者ファイル#35
齊藤睦志さん(株式会社クラフトワークス)

「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回は、トキワビルのシェアオフィスに入居し、主に書籍の編集を手がける「株式会社クラフトワークス」の齊藤睦志(さいとう・ちかし)さんにご登場いただきます。

多くの人が一度は目にしたことのある、アニメーション映画の色鮮やかな原画や設定資料が載ったアートブック。齊藤さんは「スタジオジブリ」の出版部で長年アートブックを制作してきた実績をもつ、ベテランの編集者だ。
 

齊藤さんがトキワビル207号室に足を運ぶようになったのは、2021年春ごろから。以前より親交のあった編集者で207号室に事務所を持つ「モ・クシュラ」の大谷薫子さんと『大地の芸術祭公式ガイドブック』の編集に携わったことがきっかけだった。その仕事が終わった後も同業者同士、近くにいれば心強いと同じ部屋に机を置くこととなった。
 

「2015年に独立して、自宅も横浜に越したんです。都内の仕事だけでなく、せっかく横浜に事務所スペースを持ったので、これからは関係を広げながら、地元に根ざした仕事もしていきたいですね」。

齊藤さんが入居するトキワビル207号室。左奥に見えるのが齊藤さんのデスク

スタジオジブリとの出会い

「高校時代から映画ばかり見ていた」と話す齊藤さんは、宮崎駿監督や高畑勲監督が生み出すジブリ作品の大ファンでもあった。『風の谷のナウシカ』(1984年)や『天空の城ラピュタ』(1986年)をリアルタイムで見て、大きな影響を受けたという。そんな齊藤さんとスタジオジブリとの仕事としての出会いは、約20年前にさかのぼる。
 

もともと横浜市金沢区にある関東学院大学の文学部に通っていたこともあり、横浜にはゆかりのある齊藤さん。在学中からシナリオ教室に通い、卒業後は東京の早稲田にあった編集プロダクション「スタジオ・ハード」に入社。サブカル系のコンテンツ制作を専門にする同社で、齊藤さんはゲームやアニメーション作品の出版物の編集などを幅広く手がけていた。編集プロダクション在籍中の仕事のひとつに、スタジオジブリが製作協力した押井守監督作品『イノセンス』(2004)があった。雑誌で作品の特集を担当して記事の執筆などを行い、2002年にジブリの鈴木敏夫プロデューサーを取材する機会を得たことがきっかけで、ジブリの関連書籍の編集を依頼されるようになる。その流れで直接リクルートを受け、入社試験や面接なども経ずに、2004年の夏にスタジオジブリ出版部の一員となった。

本棚には、これまで手がけてきた書籍の数々が並ぶ

スタジオジブリ時代に獲得したアートブック制作の技術

当時、スタジオジブリの出版部は実質5人程の少数精鋭部隊だった。そんななかで、スタジオジブリが発行する月刊の小冊子『熱風』をはじめ、新作映画のアートブック「ジ・アート」シリーズ、そして東京都現代美術館で毎年夏に開催されていた、スタジオジブリが制作協力した企画展示の図録制作など、多くの仕事を受け持っていた。
 

これらの仕事を通して齊藤さんがこだわっていたのが、原画の色の再現。「アートブックや図録の制作では、原画の色をいかに再現するかを大切にしていました。空の青さや鮮やかな緑といったジブリ作品でよく目にする色合いは、どうしても印刷で使われる色域から外れてしまい、再現が難しい。CMYKだけではくすんだり薄くなったりしてしまうんです。そこを、当時ご一緒していた図書印刷のプリンティングディレクターの方に、シアンのなかに特色のあさぎ色を少し混ぜてジブリの緑を再現してもらったりと、しつこく丁寧につくってもらいました」。こうした試行錯誤は、つねに原画を手にとって見ることができるスタジオと同じ屋根の下という環境だからこそ可能だったと言えるだろう。

ジブリ時代の印象深い仕事としては、東京都現代美術館で開催された「フレデリック・バック展」(2011年)の図録と、『ジ・アート・オブ かぐや姫の物語』(2013年)の2冊を挙げてくれた。フレデリック・バックはカナダ在住のアニメーション作家で、『クラック!』『木を植えた男』などの作品で知られている。「伝説のアニメ作家に実際に会えたということもあり、とても印象に残っています。バックさんや映画関係者へのインタビューを撮りに、カナダにも行くことができました」。海外のアーティストと仕事ができるのも、大きな経験だったと話す。
 

『ジ・アート・オブ かぐや姫の物語』は、高畑勲監督たっての希望もあり、映画の作画演出を担当した田辺修さん、美術監督を担当した男鹿和雄さんの全面協力の下、これまでで一番スタジオのスタッフと深く関わりながらまとめた本だという。「『かぐや姫の物語』の絵は、ジブリ作品のなかでも異色であり、絵そのものがアートと呼べる魅力がありました」。
 

スタジオジブリは2014年に制作部門が解散することが決定。これを機に齊藤さんはジブリを退社することを決めた。「ジブリでの仕事は、スタジオの隣で本がつくれることが一番の魅力でした。それができなくなってしまうと、自分のやりたいこととずれてしまう。そう思ったのが一番の理由です」。齊藤さんが、スタジオのクリエイターが生み出す作品の魅力を引き出せるように仕事をしていたことがわかるエピソードだ。

ジブリ以降の仕事──『シン・ゴジラ』から『宮崎駿とジブリ美術館』まで

独立後にクラフトワークスを立ち上げた齊藤さんには、その実績を頼りに、ジブリ関係者から図録やコンセプトブックの編集者として指名される仕事が立て続けに舞い込んでいる。いずれも、地道な編集を要する豪華版の制作が多いことが特徴だ。
 

2016年には、庵野秀明総監督による映画『シン・ゴジラ』の公式記録集『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』の編集を担当。同書は庵野氏のこだわりもあって発売が何度も延期となり、その度に掲載素材が増え続けたのだとか。映画の完成台本を製本して差し込み、カメラには写っていない劇中の政府資料などもすべて収録するなど、膨大なアイテムを余すところなく掲載することとなった。

『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』。完成台本は、実際に撮影現場で使われるような質感まで再現されている

齊藤さんは、「庵野さんは本のクオリティにも妥協がありませんでした。一例を挙げると、CGの紹介ページであまりいい素材がないとわかると、CGプロダクションにデータを再度レンダリングしてもらうよう指示を出し、映画の制作プロセスを本の中で視覚化していきました」と振り返る。加えて制作・撮影風景を収めた写真も多く掲載し、これは何万枚ものなかから編集スタッフみんなで地道に選定したものだという。
 

また2021年には、「美術館をつくる」「企画展示をつくる」の2冊構成で、三鷹の森ジブリ美術館の創設に込められた宮崎監督の思いを紹介する『宮崎駿とジブリ美術館』の編集を担当した。同書には、「原画の魅力をしっかり伝えたい」という齊藤さんの希望で大きな判型(B4判変型)が採用された。企画から完成まで約3年。ジブリ美術館館長の安西香月さんらと話し合いを重ねて、本の構成をまとめていった。

『宮崎駿とジブリ美術館』。ジブリ美術館20年の歩みが、約600ページにまとめられている

掲載されている約900点のイラストのほとんどは宮崎監督が描いたもの。スケッチや構想案などはもちろん、チラシやメモ用紙の裏に書いた落書き、直筆の手紙までもが捨てずに残されていたため、膨大な量の資料が同書に収められている。「いつも仕事をするうえで予算、人、期間などの面でつねに妥協しなければいけないことはありますが、この本ではなるべく妥協を少なくしようと考えました。ジブリには情熱のある人が集まっていることもあり、時間を惜しまずに力を尽くして良いものをつくることができましたね」。
 

そのほかの仕事には、シナリオライティングを学んだ経験を活かして『角川まんが学習シリーズ 世界の歴史』の脚本を書いたり(17、18、20巻担当)、自主制作で『くろもり谷の夏』という絵本をつくったり、『大地の芸術祭2022公式ガイドブック』の編集を手がけたりと幅広い。今後はアニメーションやアート系の仕事を続けながら、自分の企画もやってみたいと語る齊藤さん。「大谷さんが編集された橋本貴雄さんの写真集『風をこぐ』(モ・クシュラ刊)が素晴らしくて。一枚絵の力は大きいものですが、写真は連続的に見せることでそれぞれが生きてくるので、本に向いていると思いました。いつか写真家の人とおもしろい本をつくってみたいですね」。
 

つねにアニメや映画の制作現場の近くで活動してきたからこそ、妥協しない本づくりを続けられる。齊藤さんの仕事には、いずれも編集者としての矜持が感じられた。

PROFILE
齊藤睦志[さいとう・ちかし]
編集者。株式会社クラフトワークス代表取締役。1966年秋田県生まれ。1989〜2003年、スタジオ・ハードに在籍。2004〜2014年、スタジオジブリ出版部に在籍。2016年、クラフトワークスを設立。アニメーションやアート関連書籍の編集・執筆などを手掛ける。現在の興味はアウトドア、珈琲、保護犬。

取材:及位友美 /文:白尾芽(voids)
写真:森本聡(カラーコーディネーション)

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