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泰生ポーチ
入居者ファイル#38
加山由起さん(有限会社加山)

さまざまな技法を用いて描いた《春秋波濤》(1966)や、暗闇のなかに猛々しく光る龍を描いた天井画《墨龍》(1984)などの代表作で知られる日本画家・加山又造(1927〜2004)。日本画を独自の感性で表現し、「現代の琳派」とも呼ばれるなど、現在もその作品は人の心をつかんで離さない。そんな加山又造の作品を継承していくために活動しているのが、泰生ポーチに入居する孫の由起さんだ。

加山さんは2015年4月の泰生ポーチオープン時から入居する、いわば「一期生」的な存在。ポーチのことを知ったのは、以前からTwitterでも交流があったという杉浦裕樹さん(横浜コミュニティデザイン・ラボ)を介してだった。「当時引っ越しをするタイミングで、やはり祖父が活動を始めた横浜に拠点を持ちたいと思っていました。ちょうどその頃BankART1929のイベントでポーチのことを耳にして、関内駅にも近く、ちょうどよいサイズ感の部屋があるということで入居を決めました」。

部屋の中央には畳敷きの小上がりがある。和紙と木のあたたかい雰囲気が印象的

芸術家一家に生まれて

加山一家と芸術との関わりは、若狭出身の絵師であった加山さんの祖父の祖父の父親が、絵を習って描きはじめたことにまでさかのぼる。そして終戦直後に祖父が活動を始めたことをきっかけに、加山さんの家族は横浜に根を下ろした。当時は横浜スタジアム近くにあった体育館が米軍に接収され、「ゴールデン・ドラゴン」というクラブとして運営されていた。東京美術学校(現・東京藝術大学)の画学生だった祖父は、上野から横浜まで電車で通い、そこでポスター掛けのアルバイトをしていた。その後は日比谷の外国人専門デパートで、内装やデザインの仕事も行っていたという。

祖父の活動は日本画にとどまらず、アクセサリーのデザインや着物への絵付など幅広い。身延山久遠寺の《墨龍》は、金箔を貼った背景の上に、農薬を散布する機械をエアブラシのように用いて描いたもの。このとき3〜4歳で制作風景を見ていたという加山さんは、「おじいちゃんが変なことしているな、と思っていました」と笑う。1990年には、車に各国のアーティストがペイントを施すBMWの「アートカープロジェクト」に参加。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグといった名だたるアーティストに並び、東洋人としては初めての参加となった。

身延山久遠寺、11メートル四方の天井に描かれた《墨龍》は大迫力

偉大な祖父の存在に始まり、加山家はアーティスト一家だ。父・哲也氏は陶芸家、母・英利子氏は日本画家、弟は陶のオブジェ作家。妹も芸術学科出身で、義妹は人形作家と、ジャンルもさまざま。父はもともと三重県で修行を積み、「○○焼」のように土地に規定されることなく、美濃、九谷や愛知・滋賀、ときには海外から取り寄せた土も用いて、自由に陶芸作品を制作している。多摩美術大学で教鞭を執っていた祖父の教え子だったという母は、猫や花などのモチーフを日本画の手法で静謐に描いた。そのなかで唯一制作の経験がないという加山さんは、祖父以外の家族の作品についても管理・展示などを手がけている。

父の陶器と、義妹による猫の人形を並べて
母の絵。いびつなかたちだが、皮を剥くとよい香りのする洋梨が描かれた「自画像」だという

幼少期に身につけた「支える」力

そんな加山さんの家族を「支える」力は、幼い頃に身についたものだという。小学校に入る頃には、母が個展の前に制作をしていると、加山さんが代わりに兄弟と遊んであげたり、ご飯をつくったりという役割を担っていた。

また加山家には、いつもさまざまなアーティストが出入りしていた。「色々な方とのお付き合いがあったので、子どもなりにいつも話を聞いていました」と加山さん。小さい頃からとくに親しくしていたというのは、三島由紀夫の研究で知られる評論家・科学技術者の奥野健男さんだ。多摩美術大学で文学ゼミをもっていたという奥野さんは、母の才能を見出していた。「当時は、武蔵野美術大学に在学していた村上龍さんが芥川賞を取って話題になっていました。奥野先生は母の文才を認め、多摩美からも芥川賞を、と言って文学の道を進めてくださっていたんです」。母は卒業後結婚し家庭に入ったが、その縁もあってよく加山さんの遊び相手になってくれていたそうだ。「それから、ピアニストの中村紘子さんとも親しく、コンサートにもよく行っていました。逆に日本画家の方はあまりいなかったですが、さまざまな文化人のいる環境で育ったことは確かですね」。幼い頃から芸術にふれて過ごせるのは、贅沢な環境だったことだろう。

加山さん

いまの仕事を始める前は、ウェブ関係の仕事をしていたという加山さん。転機は2003年、祖父が体調を崩したときだった。「自宅で保管している作品の量が多かったので、その整理や寄贈先の調整などを父と行っていました。祖父は翌年亡くなり、父も自分の制作があるので、加山又造に関する仕事は私に任されることになりました」。仕事の大きな軸は、作品管理と展覧会。「作品に関する情報をアーカイブから探して、研究者やメディアに渡すという仕事も大きいですね」。加山又造展は数十年に一度大きなものが開催されるほか、コロナ前には横浜や日本橋の高島屋で父の展覧会も開催されていた。

加山さんは、「部屋にある父の陶器は、すべて作品にならなかったものです。現在はコロナ禍の影響で百貨店も厳しい状況ですが、これから何ができるか考えていきたいですね」と話す。部屋には版木もあり、ここには祖父の絵の焼印を入れて挨拶状として送ることもあるのだとか。現在加山さんは、京都芸術大学の通信ゼミに通いながらプロデューサーとしての仕事にも関わるなど、クリエイティブな発想を大切にしている。

部屋の棚は弟がつくってくれたもの。なかには父の陶器や、祖父に関する資料や写真作品が収められている

時代とともに変わる泰有社コミュニティ

加山さんが入居した頃、オープン時の泰生ポーチは、月に1回の交流会など活発にコミュニティ活動を行っていた。「みんなでファブラボ(泰生ビル)に行ってビル内のサインを作ったり、サービスは外部に発注するのが当たり前のなかでお掃除を当番制にしたりと、みんなで何かをやるのは楽しかったですね」と加山さんは振り返る。

入居者のなかでも親しくしていたのが、アーティストのKaie Yoshi(KAIE)=吉澤香代子さんだ。古着や古布を再生する「Re:お古」をテーマに制作をしていたKAIEさんは、2019年に他界された。「KAIEさんはレジデンスの経験もあり、すぐに周りの人と仲良くなって、輪の中心にいるイメージでした」と加山さん。「アートのことをたくさん教えてもらいましたし、いまの時代に何ができるかを考えている人でした。私は最後の展覧会を見に行くことが出来て、小さな展示でしたがKAIEさんの集大成だなと感じて。すごい人と一緒にいられたんだな、と思いましたね」。

2019年8月、泰生ポーチフロントで行われた「KAIEさんを偲ぶ会」の様子*

現在の泰生ポーチについて、加山さんは「それぞれがまったく違う仕事をしていて面白いですね。小さいビルだとお隣さん問題も起こりがちですが、ポーチではお互いに干渉しすぎずに適度な距離感で過ごせます」。距離感を保ちつつときには助け合い、そこから大切な友達ができることも。「small is better!」は部屋の大きさだけでなく、人間関係にも言えるのかもしれない。

「いまはコロナの影響もあり、ジャズプロムナードなども縮小傾向で、横浜全体がおとなしくなってしまいました。楽しいイベントが少ないのは寂しいですが、積極的に交流できるといいですね」と加山さん。今後の展望については、「祖父、そして2017年に亡くなった母が遺してくれたものはたくさんあります。父や弟も制作を続けているので、いつか『加山総合展』ができるといいなと思っています」と語った。家族のなかで、そしてコミュニティのなかで、ひとつの柱として活動する加山さんの、静かでしなやかな姿勢が垣間見えるインタビューだった。

祖父の描いた京都嵯峨嵐山 天龍寺法堂の天井画《雲龍図》(1997)* 
祖父の《夏の濤》(1958)と、同作を元にしたドレスを着た妹*

加山由起[かやま・ゆき]

10代の頃に祖父の展覧会の開会式に立ち会うために北京とロンドンを訪れたことを契機に成蹊大学法学部政治学科在籍時に、北京大学とケンブリッジ大学での研修を受け、大学卒業後はWeb関連の業務に従事した。後に加山又造の著作権管理事業と加山哲也の陶器の販売に携わる。

生活の中で情報通信の比重が増大化している社会でデザインとアート、ポリティクスとエンジニアリング、サイエンスとリベラルアーツを結び付ける領域で活動することを旨に展覧会事業や作品の販売を手掛け、アパレルブランドとの協業やイベント企画にも参画。2018年恵比寿で開催されたアートイベント「Re又造」の企画原案、コンセプト構築ならびに監修を担当。

取材:及位友美 /文:白尾芽(voids)
写真:加藤甫(*をのぞく)

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