MAGAZINE

泰生ビル
入居者ファイル#41
稲吉稔さん、渡辺梓さん(似て非works)

プレハブから元銀行、ヴィンテージビルまで

“元何か”の場所に残されたものや使われなくなったものに目を向け、作品や空間として蘇らせる。そんな試みを続けてきたのが、泰生ビルに入居する「似て非works」の稲吉さんと渡辺さんだ。

「似て非works」が始動したのは、遡ること約13年前。会社の設立と同時に、中区若葉町にある築60年のビルをリノベーションし、同名のアートスペースとして運営を始めた。しかし、ふたりの協働はそれ以前から始まっていたという。「大和市でアトリエとして借りていたプレハブ小屋を、セルフビルドで家にしたのが始まりでした」。なんと最初はお風呂に屋根がなかったという家だが、稲吉さんがジャクジーも備えたお風呂を自分の手でつくり、次第に快適な環境になっていった。「最初は近所のお母さんたちが不安そうに偵察に来ていたんですが、そのうち顔見知りになって、週末はみんなで食事をしたりお泊りしたり、大きいお風呂に子どもたちは大喜びで、自然に人が集まっていました」と稲吉さんは笑う。

稲吉さんお手製のお風呂*
昭和期の元銀行をセルフビルドでリノベーションしたアートスペース「nitehi works」(2010-2016)* 写真:米山剛
1966年竣工当時の銀行*

そんな暮らしを経て横浜に根を下ろした2年後、横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦裕樹さんから声がかかり、さくらWORKS〈関内〉のリノベーションを担当することに。10人ほどのアーティストと協力し、それぞれが天井や柱を一緒にデザインした。稲吉さんは柱に土を塗るプランを考えていたが、その前段階にグラインダーでコンクリートを削る作業を見ていて、意図しないパターンに惹かれそのまま残すことに。

さくらWORKS〈関内〉リノベーションの様子。現在はオンデザインのスペースとなり、いくつかの柱がそのまま残っている*
剥がした壁紙や床の跡を活かしつつ模様化し、床はエポキシ樹脂でコーティングした*

その後は、507・509・510・511号室の賃貸の打診を受け、いわゆるリノベーションというよりは、天井や壁を壊して広くしたり、少しだけ手を加えて古いビルの風合いを残したりと、部屋を実験的にカスタマイズしていった。現在サブオフィス的に利用している509号室では、2016年にお母さんがリラックスできるスペースとして「kadoue mama picnic」を後藤清子さんと実証実験する。これが、現在泰生ビルで後藤さんが代表を務める保育園、ピクニックルームの前身になった。稲吉さんは、「泰生ビルの初期段階に関わらせてもらったことは大きな経験でした。2013年には、ドリフターズ・インターナショナルによるスクールプログラムの公演で、空室に展示された作品を見ながら階段を上って回遊し、最後は隣の新井ビルの屋上も使ってパフォーマンスを完結する、というイベントもあって、とてもおもしろかったですね」と当時を振り返る。

現在の509号室。左に見えるお子さんの勉強机は稲吉さんの手作り

アートとの出会いから広がったネットワーク

泰有社コミュニティの活性化に大きく寄与してきた稲吉さんと渡辺さん。アートやリノベーションを共通言語とした活動にいたるまで、ふたりはどのような道を歩んできたのだろうか。

稲吉さんは井土ヶ谷出身。27歳のとき、偶然Bゼミ(1967年から2004年まで井土ヶ谷に存在した現代美術のスクール)の存在を知り、「地元にこんな場所があったのか」と衝撃を受け入学した。Bゼミでは《オイルプール》などの作品で知られる巨匠・原口典之さんと交流をもち、山梨県で行われていた田中泯さん主催の「アートキャンプ白州」にも参加。その後は、青山の街中で開催された伝説的な展覧会「水の波紋‘95」に参加するなど、サイトスペシフィックな表現を展開していく。

「水の波紋‘95」展での展示風景(TEPIAビル)*

作品制作を行いながら設備会社を経営していた稲吉さん。そこで培った工事・施工関係のネットワークを活かして、リノベーションにも活動の幅を広げることができた。「似て非末吉では、空間にジャストフィットするような和家具は、ほとんど業者さんのネットワークでいただき物を置いています。モノだらけの世の中だから、新しい資源を使わなくても、あるものだけで何とかなるということが念頭にありますね」。

渡辺さんも「業者さんも思い切って全部壊さないで、『これ稲吉さんが好きそうじゃない?』と言って、古い素材を丁寧に取っておいてくれたりするんです。業者さんとアーティストが一緒にワクワクしながらつくるというのは、似て非の原点になっていると思います」と語る。「古いタンスには昔の持ち主の思いがあり、それをまた作品としてつなげる。一度持ち主から離れたものは古い、汚いと感じてしまいがちですが、ちょっと磨いてみるだけでぬくもりが出てくるような気がします」。

現在アートスペースとして運営している似て非末吉*

一方の渡辺さんは、1989年にNHK 連続テレビ小説「和っこの金メダル」でデビューして以来、舞台・ドラマを中心に現在も俳優として活躍している。子どもの頃から絵が好きだったという渡辺さんだが、芸大に通った姉とは別の方向に進むことに。再びつくることに出会い直したのは、稲吉さんと知り合ってからだった。撮影の合間に稲吉さんの工事現場を手伝うことも。「当時は現場に女性が居なく、場違いではないかと感じながらも、撮影の仕事では時代劇などで大御所との仕事も多かったので、大御所の職人さんの間でもあまり緊張せずに、徐々に現場に馴染むようになりました。最初の頃は本当に掃除だけ、それからインパクトドライバーを使ったり、ペンキ塗りをさせてもらったりして、自分が果たせなかった夢を一緒に体験させてもらっているというか、もう一人の自分がいる感じです」。

稲吉さん、渡辺さん

アップサイクルには“失敗”がない

「腑に落ちる」。稲吉さんは、アートワークとクライアントワークのあいだに共通する感覚をこう表現する。似て非worksの活動の特徴は、すでにあるモノを活かしつつ空間をアップデートしていくこと。「野外展などで著名なアーティストが作品だけを置いていくことがありますが、それだと全然面白くない。その場所に向き合いながらアイデアを出して作品にしていく、そのプロセスや背景が重要だと思います」。

トキワビル「ときにわ」のキッチン。ボンドの跡を生かしながら、パイプ部分には鉄のように見えるアイアンペイントを施した*

解体現場での”発見度”はとても高いと言い、泰有社ではさくらWORKSのほかに、トキワビルの建築設計シェアオフィス「ときにわ」の内装も手がけた。キッチンではステンレスを剥がしたボンドの跡をあえて残したり、壁を解体して出てきた細い木の骨組みを見せたりと、ところどころに遊び心がある。しかしやわらかい空間のなかにもシャープなテーブルを置くなど、クライアントとのコラボレーションを大切にしている。「クライアントさんも色々な発想をもっていて、人の創造性はすごいなと思わされます。卓上のイメージから、過程に参加してもらうことで、より豊かな空間が生まれる。僕たちはそのきっかけをつくっているにすぎません」。

渡辺さんも、「ボンドの跡とか、汚れに見えるモノも、少し手を加えることで違って見える。例えば子育てのなかでも、普通なら『こんなに汚して!』と怒ってしまうことも、手を加えてオリジナルなものにできたらその後の生活は豊かになるはずです。そうなると失敗したらどうしよう、という緊張がなくなって、“失敗”自体がなくなると思うんです」と語る。

“元何か”をめぐる物語

ふたりのこうした“元何か”への視線は、横浜という場所がもつ歴史にも由来するのかもしれない。「横浜は、自転車とか徒歩圏内で色んな顔が見られるところが面白いと思います。みなとみらいの再開発エリアも、私たちがいる末吉町や、寿町のような街も同居しているからこそ、移り変わっていく“元何か”にアクセスしていまの瞬間をカタチにすることができる」。

「2020年、ちょうどコロナ渦で、似て非works10周年と言う訳で、泰正ビルの屋上でmama!milkの野外ライブや、アーティストを招いてのワークショップを行いました。どんな状況下でも、いまできることを考えた末に、こんなに良い環境がそこにあることに気づかされました。“ゆたかなイばしょ”と言うシリーズでは、日常のなかにある人の創造性に寄り添い、自分自身の価値観を見直すことを目的に、町中でのワークショップからはじまり、作品化にいたるまでをシリーズ化して、さまざまな連鎖反応を試みています。“イばしょ”のイは、居心地の“居”であったり、それぞれが異なる “異”であったりと、相違を理解して自分の見方を見直す『コト』でもあります。」

「モノとしてはすぐに壊して新しくなってしまう世の中だけど、そのワクワク感とか気づきはつなげていきたいなと思ってやっています」と渡辺さん。「ある日建物がなくなった途端、『ここって前なんだったっけ?』と思いますよね。それくらい、ただ見ていただけの建物の記憶はすぐに失われてしまう。舞台も同じで、その公演が終わると跡形もなく消えてしまう。しかし、観てくださった方の記憶には残る。『あの俳優のあの役が素晴らしかった!』と何十年も前の舞台がいまでも語り継がれていくこともある。建物は箱だとしても、一度そこで何かを体験すれば、記憶が残っていくはず。不要かもしれないけれど、空間を豊かなものにしていかに次につないでいけるかを考えています」。

「キング軸・アートテーブル」での《さまよう看板》展示風景*
泰有社オーナー・伊藤さんの結婚パーティーでも看板が使われた*

似て非worksにとって大切な“元何か”のひとつが、若葉町のビルにあったという袖看板だ。ビルから取り外してから、舞台装置やイベント会場の装飾、泰有社・伊藤さんの結婚パーティーのテーブルとしても使われてきた。昨年にはこれを、BankART企画の「キング軸・アートテーブル」に《さまよう看板》というタイトルで出展。実際に人々が自由に使えるテーブルとして街中に置かれた。渡辺さんは「ある場所のための印になっていた看板が、私たちのそばにやってきたことによって、何かの名前を背負わない“色んな顔”が見えてきました。いつか『看板物語』としてカタチにしていきたいと思っています」と言う。

今後は、クリエイターと技術者とクライアントをつなげる「メイド・イン・関内」プロジェクトの立ち上げなども予定している似て非works。稲吉さんと渡辺さんの語り口は、すぐそばに、自分にとって大切な“元何か”があるかもしれないと、生活そのものを愛おしく感じさせてくれるものだった。これからもふたりの手によって、どのように横浜という場所に変化が起きていくのかが楽しみだ。

511号室には、ファブラボ関内と運営する木工室「nitehi factor」が昨年リスタートした

【INFORMATION】
磯子区総合庁舎1階で、似て非works+西原尚×イシマル建築設計室×株式会社ボイズによる、太陽光発電パネルを用いた作品「サーキュラー シャンデリア」を展示中!
発電パネルに太陽光を当てる・遮ることで、ペットボトルでできたシャンデリアを動かしたり止めたりすることができ、子どもも楽しめる参加型の作品です。3月20日(月)から約1年間展示される予定なので、ぜひ近くにお立ち寄りの際はご覧ください。

似て非works[にてひわーくす]

2010-2016 アートプロジェクト「似て非 works株式会社」を設立と同時に、4階建て元銀行跡ビルをアート・スペース nitehi works として空間作品制作と運営
2012 泰生ビル・2階さくらWORKS〈関内〉をアート・シェア・オフィスとしてアーティスト等と空間制作
2013 アート・スペース「と」をアーティストと空間制作
2017- 元運送屋跡をアート・スペース/アップサイクル工房「似て非末吉」として空間制作し運営中
2015 ハンマーヘッドスタジオ参加/FabLAB関内空間制作
2016 (株)グーンみなとオフィスの空間制作@産業貿易センタービル
2017 BankartAIR参加
2017 環境とエネルギーの未来展(株)グーンブース空間制作@BIGSITE
2017 NEW環境展(株)グーンブース空間制作@BIGSITE
2018 設計チーム「ときにわ」オフィス空間制作 築61年@トキワビル
2018 レコードバー「Ana-Guma」空間制作 築60年@港南台
2018-2019 BankartAIR R16雨ニモマケズ@国道R16旧東急東横線横浜駅ー桜木町駅高架下スタジオ参加
2019 (株)グーンみなとオフィス床増空間制作 築44年@産業貿易センタービル
2019- “ゆたかなイばしょ”周るアートラウンジ活動開始/@北仲ブリック他
2020 “ゆたかなイばしょ”似て非works10周年企画mama!milk@泰正ビル屋上ライブ/“ゆたかなイばしょ”展覧会@似て非末吉
2021 “ゆたかなイばしょ” 似て非末吉「ともだちんち展・隣人と場編」
2022 「似て非works展ーゆたかなイばしょー」@ZOU-NO-HANA GALLERY SERIES vol./“ゆたかなイばしょ”よこはま共創博覧会@横浜市庁舎アトリウム/さまよう看板@みなとみらいキング軸
2023 「サーキュラーシャンデリア」@磯子区役所

取材・文:白尾芽(voids)
写真:大野隆介(*をのぞく)