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トキワビル
入居者ファイル #43
MERINOさん、utopianoさん

 トキワビルの4階303号室。扉を開けると、広々とした玄関がある。その先には壁で仕切られた2つの部屋(303-aと303-b)。それぞれ入居するのは、テンペラ画家のMERINOさんと、布花作家のutopianoさんだ。

utopianoさんの部屋。お気に入りが詰まった小さな部屋に、窓から差し込む光が心地よい
MERINOさんの部屋。作品が見やすいように白で統一されている。左手にはテンペラ画を乾かすために自作した棚がある

出会ってすぐに意気投合

 以前は、黄金町のレジデンス施設に10年ほどアトリエを構えていたMERINOさん。2021年の春に、トキワビル303-aに引越してきた。
「トキワビルを知ったのは、ヨコハマ芸術不動産のウェブサイト。この部屋は天井が高くて壁に絵をたくさんかけられるところが特に気に入りました。先に入居していたutopianoさんと初めてお会いしたのは、見学の時です」
 
 二人はアンティークのインテリアやドライフラワー、植物、鳥の羽、卵など、好きなものや愛用品が似ていたことで、すぐに意気投合。共通の知り合いもいたそうだ。

4階にあるために空気が乾燥しているという303号室。「ドライフラワーがつくりやすく、実は作品づくりにも最適な環境です」と二人

 最初にいたutopianoさんが303-bに入居したのは、2018年だった。
「私はR不動産で泰有社さんを見つけました。もともと物件を見るのが好きで、いろいろ見ていたんです。ちょうど布花の教室ができるアトリエも探していたので、トキワビルがぴったりだと思い、すぐに内見。この部屋は天井が高くて気持ちよく、即決でした」
 
 入居後、utopianoさんが木工作家の友人に塗装してもらったという壁は、「曇り空」をイメージしているという。窓から入る太陽光がほどよく拡散され、光にやさしく包み込まれるような空間だ。
 そして、奥に1箇所だけ真っ黒に塗られた壁がある。作品の写真を撮影するときに背景として使う場所。

曇り空のような壁に布花作品が映える*

「まるで研究者」。観察の先にあるクリエーションとは? [布花作家/utopianoさん]

布花標本『サビタ』*

「布花」は、観察した植物から型紙をおこし、白い布を切り抜いてつくるアート作品。切り抜いた布をアートフラワー用の粉末絵の具(シリアス染料)で染め、コテをあてながらボンドを使って形をつくりあげていく。
 
 布花作家のutopianoさんは、もともと編集と執筆の仕事をしていたという。編集業をやめたあとも、福祉業界に10年ほど勤めた。その間も布花作品は趣味でつくっていたが、作品をInstagramに投稿しはじめたことを機に、徐々に作家の道が開かれていった。
 
「まだフォロワーが少なかったころ、欲しいと言ってくれる人や買いたいという人が少しずつ現れました。そんななか、あるお店で『うちで置いてみない?』と依頼されたのが作家デビューのきっかけです」

utopianoさんの2冊目の著書『季節の布花標本』(グラフィック社、2020)には、オリジナルの型紙やレシピも収録。1冊目の著書『布花標本』(グラフィック社、2017)は、『THE HERBARIUM OF FABRIC FLOWERS』(Schiffer Craft 2022)として英語版も出版されている

「私の最大のリスペクトは植物」と話すutopianoさん。自身の作品についても「布花標本」と表現する。まるで標本をつくるように植物を分解し、観察に観察を重ねて布花をつくりあげていくutopianoさんを、MERINOさんはこんなふうに語る。
 
「ものを見る力と根気がすごくて、研究者みたいだなといつも思っています。その上で、見た目をただ再現するのでなく、ちゃんとクリエーションがある」
 
 姿かたちだけではなく、匂いや手触りなど、utopianoさんが植物から受けとったものが丁寧に落とし込まれ、表出されるのだ。

布を染めるためのシリアス染料。「粉をお湯で溶き、つくりたい色になるように調合。本当にそれも実験みたいなんです」

15世紀から続く古典技法と、一枚の絵から生まれる無数の物語 [テンペラ画家・グラフィックデザイナー・イラストレーター/MERINOさん]

 いっぽうのMERINOさんは、現在はテンペラ画を描きながら、デザイナー兼イラストレーターとしても活躍している。テンペラ画は、卵などの乳化作用をもつ物質を固着材として利用する、イタリアルネッサンス期の絵画技法。何年も色褪せない鮮やかな色彩と、線を重ねながら描いていく細密さが特徴だ。

 MERINOさんがテンペラ画に出会ったのは、20年以上前にイタリアのフィレンツェで一人旅をしたとき。名画『受胎告知』で知られるフラ・アンジェリコが描いた壁画を見て衝撃を受けたという。
 
「釘付けという言葉がぴったりで、絶対に私もこれをやるんだと思ったんです。帰国してすぐさまカルチャースクールに通いました」

部屋に展示されている大きな3枚組の絵。『Birdman』(左、右)と『ポエマードーム』(真ん中)

 MERINOさんは、テンペラ画を描き初めた当初から今までずっと「仮想の村」を描き続けているという。最初の何年かは、その村にある建物だけを描いていた。建物といっても、私たちがふだん目にしているものとは異なり、木の実を図書館や天文台などに見立てた不思議なかたち。
 
 そこから、だんだんと村に人が描かれるようになった。
「“村を借りている”という感覚に近いです。最初は建物と人のみでしたが、そこから徐々にふだん自分が思っていることや気がついたことを村に投影していきました。テーマはその都度変わりますが、この10〜20年、ずっとそのように描いています」

MERINOさんの作品のモチーフになっている、木の実などの自然物

「MERINOさんの描く絵は、縮尺感覚がおかしくなるのが面白いんです」とutopianoさんは話す。
 1枚からいかようにも想像が広がる絵。展示会などでは、見た人それぞれが、その絵から感じた物語を語り出すのだという。
 
「人はどう思うかわからないですけど、描いている本人は、今描いているものに一番興味があるんです。実は大きい絵を描きたいという思いがずっとあるのですが、それは小さくても、100号でも同じこと。いま描いているものが代表作ですね」

『ある刺繍師』
MERINOさんが取材時に描いていたテンペラ画

相乗効果を生む二人のアトリエを外にひらく

 印象に残っている展覧会について聞くと、二人は口を揃えて、「初めてコラボレーションした二人展『a l m a』」だという。昨年10月に東京都小平市の「コトリ花店」という小さなお花屋さんで開催したもので、店内に所狭しと置かれた植物のなかに、MERINOさんの絵とutopianoさんの布花を展示した。

二人展『a l m a』の様子*

「作品をつくるうえで、MERINOさんから受けた影響はとても大きい」とutopianoさん。
「実はずっと石膏に興味があり、作品に使いたいと思っていたんです。しかし石膏がすぐに固まってしまい、どうしたらよいのかわからず本当に苦労していて」
 
 そんななか、ふとMERINOさんに「テンペラ画ってどう描くの?」と尋ねたときに返ってきたのが、「まずは石膏と膠(にかわ)を溶いて土台をつくる」という答えだった。
 
「こんな近くに石膏を扱う人がいたなんて」とお願いし、テンペラ画の土台づくりを一からMERINOさんに学んだという。

『alma』。土台は拾った石や岩などを型取り、石膏で抜いた。上の白い布花はアンティークのリネンを使用*

 互いにリスペクトし合いながらも、それぞれの活動に邁進する二人。こだわりがたくさん詰まったアトリエを「今後は外にひらいていきたい」とutopianoさんは話す。
 
「作品制作以外でもこの場所を何か表現できることはないかと考え、今、知り合いの作家さんを招いてインスタレーションや展示を企画しています。お洋服をつくる友だちもいるので、お洋服の受注会もやりたいですね」
 
 この部屋がどのようにひらかれていくのか、これからも楽しみだ。

utopianoさんの部屋の一部。撮影用の黒い壁の前に本が並ぶ
MERINOさんの部屋の一部。3年ほど前から羊皮紙にも絵を描いている

MERINO[メリノ]

イタリアルネッサンス期の古典絵画技法を用いて、仮想の村と村人達を描き続けている。
2011年より10年間、横浜黄金町のアーティスト・イン・レジデンスプログラムに参加。
テンペラ画作品を本やCDのカバーなどに多数提供。
主な装丁画として、エヴァ・ホフマン『時間』(みすず書房)、ハリーポッター『ふくろう通信VOL.3カバー』(スピカ)等。

utopiano[ユートピアノ]

もの作りの仕事から休暇期間を経て、2011年頃より布花制作の活動をスタート。採取した植物を観察し、実際の植物から型紙をおこしてオリジナル作品を制作。
アトリエにて毎月布花標本教室やワークショップを開催、オンラインレッスンも行っている。2023年より、アトリエを展示室として企画展を行っている。
https://utopiano.main.jp/

取材・執筆:安部見空
写真:加藤甫(*をのぞく)