MAGAZINE

アーティストグループ「ライトハウス」
トキワビルで最後の「SOTSU展」を開催

横浜のシェアスタジオを制作の拠点とし、10年以上にわたり活動してきたアーティストグループ「ライトハウス」。ハンマーヘッドスタジオ、宇徳ビル「ヨンカイ」を経て、ここトキワビルには2017年からスタジオを構えていたが、2023年8月に開催した「SOTSU展」をもってグループでの活動に幕を下ろした。最後の展覧会となった本展の様子をレポートする。
 
複数のアーティストが集まって、作品制作のためのスタジオを共有する。時期によって、出入りするメンバーに変遷がある。集まったアーティストたちは、対話をしたり影響を与え合ったりすることはあるが、みんなでひとつのプロジェクトや作品をつくるわけではない――。「ライトハウス」はそんなグループだ。
 
結成のきっかけは、2012年。BankART1929が主催するアーティスト・イン・レジデンスの公募プログラムだった。当時の代表・池田修さん(2022年逝去)が、このときのレジデンスメンバーから数人を集め、新港ピア「ハンマーヘッドスタジオ」(現在の横浜ハンマーヘッド)のスタジオをともにするチームをつくった。このチームがライトハウスの前身となる。その後、宇徳ビル「ヨンカイ」に移り、「ライトハウス」としての活動をスタートすることになったという。
 
メンバーが流動的な点では「コレクティブ」のようでもあるが、協働して創作をするのではなく各々が自作をつくるので、そうとも言い切れない。ライトハウスの在り方は、同じくトキワビルにオフィスをもつ私にとって興味をひかれるものだった。

ライトハウスのメンバー。左から、中川達彦さん、渡邊聖子さん、岩間正明さん、三浦かおりさん

情緒的なつながり――「ライトハウス」の名づけ親、渡邊聖子さん

写真をメディアとし、テキストやインスタレーションを組み合わせた作品を発表してきた渡邊聖子さん。SOTSU展では、花をモチーフとして撮影したモノクロ写真と墨を組み合わせたり、切り抜いたりして、作品の創作プロセスそのものを提示した。
 
「作品の完成をどうとらえるか。そこも含めて、見る人に問いかける展示にしたいと思いました。ドローイングした1点ものの作品を床に置く一方で、プリントして額装したものを壁にかけたりもして――。価値が揺れている状態をつくりたかったんです」

渡邊聖子さんの作品展示風景

ライトハウスには、2022年12月に「出戻りしてきた」と渡邊さんは話す。宇徳ビルまでは一緒にスタジオを借りていたが、トキワビルに移転する際にいったん離れた。渡邊さんは、中学生になる子どもを育てている。ライトハウス結成当初は、まだ小さかった子どもとともにスタジオに通った。そこは渡邊さんにとって作品づくりができる「居場所」として、心地よいものだったとふりかえる。
 
「グループ名の発案者は私なんです。ヴァージニア・ウルフの『灯台へ (To the Lighthouse)』からとりました。私にとってライトハウスは、情緒的なつながりのようなものでした。もうひとつの家族とも言えるかもしれません」

お客さんと作品について話す渡邊さん

定年退職後、アーティストに――岩間正明さん

トキワビルでは、屋上にプランターで野菜を育てる「農業班」の中心人物でもあったのが、岩間正明さんだ。地図をつくる出版社でサラリーマンをしていたが、定年退職後、アートの世界にのめり込んでいったという。もともと趣味は美術館巡り。2008年の横浜トリエンナーレにボランティアへ参加したことをきっかけに、現代アートや作品制作にも関心を寄せるようになり、BankART1929のレジデンスへの応募に至る。
 
「ライトハウスを組んだことで、アーティストとはどういう人間か、間近でまなぶことができたと思っています。ぶつかり合うこともありましたが、それはみんながほんとうに真剣にやっていることだから」

インタビューを受ける岩間正明さん

SOTSU展で発表したのは、東北地方の「裂き織り」の手法を用いたシリーズだ。岩間さんのデビュー作であり、代表作とも言える。サラリーマン時代に制作に携わった何十枚もの地図を、細長く裁断し、一枚の紙に織りなおした作品。ネクタイやカッターシャツを細く切り、一枚の布に織りなおした作品。いずれも、これまでの岩間さんご自身との決別を感じさせるものだった。
 
「『定年退職してアーティストになるとはおもしろい』と背中を押してくれたのが、池田修さんだったんです。池田さんが亡くなって、自分のなかでも何かが一区切りついたような感覚がありました。ライトハウスのグループとしての活動は終わりますが、何歳になっても創作意欲はわいてくる。いまも、これから描いてみたい絵がたくさんありますね」

岩間正明さんの作品展示風景

グループのみんなに、見守られているような感覚――三浦かおりさん

コンセプチュアルなインスタレーションを発表してきた三浦かおりさんは、SOTSU展ではトキワビルの「場所性」に寄り添った作品を展示した。天井から吊るしたオーガンジー製のキューブは、トキワビルの部屋のドア色を反映し、新たに制作したもの。窓際に積み上げられた白い障子紙でできたボックスは、この部屋がかつて和室だったことを見る人に想い起こさせる。
 
「キューブの作品は、もともと東京のギャラリーで発表したシリーズです。ギャラリーには、コンクリートでできた立方体がたくさんあって。かたちが同じものを、軽い空気のような素材でつくることで、圧倒的な質量の違いを表現しています。障子紙のボックスは、以前、中之条ビエンナーレで使ったもの。ちょうどここの窓辺にインスタレーションすれば、場所の記憶とからめた展示になると考えました」

三浦かおりさんの作品展示風景。左の壁につけられた「取っ手」は、中川達彦さんのポートレートプロジェクトの展示とコラボレーションし、この部屋に“白いドア”が出現した

三浦さんは、ライトハウスをどんな風に見ていたのだろう。
 
「年齢層が幅広かったので、私はみんなに見守られているような感じでした。一緒に作品をつくらなくても、必要なときに必要なサポートをし合えるような関係性があったので、心強かったというか――道具を貸してもらったり、撮影をしてもらったりしましたね。働きながら作品制作をしている人や、かつて働いていた人がほとんどなので、共有できるものも多かったんだと思います」

三浦さんの作品展示風景

集大成となったトキワビルドアプロジェクト――中川達彦さん

カメラマンの中川達彦さんがSOTSU展で展示をしたのは、トキワビルのドアプロジェクト。トキワビルでは5年前、住民それぞれが好きな色を選び、ドアを塗装した。そのドアの前で住民たちのポートレートを撮影したのがドアプロジェクトだ。中川さんはSOTSU展のために、メンバーが変わった事務所や、新たに入居した人を撮り下ろした。そしてこの5年間で退去し、いまはいない住民のポートレートもあわせて展示した。
 
「やはりトキワビルでの展示なら、この作品だなと思って。今回は背景となる壁の雰囲気に合わせて、工事現場で使うような鉄格子を組みました。展示方法ふくめ、イメージどおりにできたかな。被写体のみなさんが記念に購入できるようにもして。売上の一部をこの部屋の運営資金として住民会に寄付することにしました」

中川達彦さんの展示風景

SOTSU展をひらいた4階の311号室は、オーナーの泰有社が住民のシェアスペースとしてひらいている共有部屋。入居者たちが月に一回集まって交流する「住民会」に使われてきたこの部屋を、展示のためのスペースにするために、中川さんが展示壁をつくるなどの尽力をしたという。
 
「この展覧会も、ライトハウスがやりたいと言って開催したものではなくて。トキワビルの住民のみなさんから、是非最後に展覧会をやってほしいというご要望をいただいて実現したものです。ライトハウスの解散は寂しいですが、この部屋の運営には引き続き関わっていきたいですね」
 
岩間さん、中川さん、三浦さんの3人は、結成当初からスタジオをともにしてきたメンバーだった。三浦さんは現在、クリエイターやアーティストが多く入居する「八〇〇中心」に、元ハンマーヘッドスタジオのメンバーと二人でスタジオを借りて制作をしているという。トキワビルでのSOTSU展を最後に、惜しまれながらの解散となった「ライトハウス」。これからも続く、それぞれの活動も楽しみだ。

真ん中のバナーは、2014年のハンマーヘッドスタジオ「撤収!」展で使われたもの。中川さんが撮影し、三浦さんが保管していたという

「ライトハウス SOTSU展」

会期:8月18日(金)〜8月28日(月) 
会場:トキワビル4階311号室

取材・文:及位友美(voids)
写真:中川達彦(ライトハウス)