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シンコービル
入居者ファイル #49
三ツ山一志さん、久地岡聡志さん、青木邦彦さん(Stamina Art Company)

横浜のアートシーンで出会った、三ツ山一志さんと久地岡聡志さん。2023年、シンコービル301号室に、自分で何かを企画したり実行したりする人たちが集える場所として「Stamina Art Company(スタミナアートカンパニー)」を構えた。
Staminaは「持続性のある、精力的な」、Artは「技術や経験」、Companyは「志をともにする人たちの集まり」の意味が込められている。共同代表の三ツ山さん、久地岡さんと、運営メンバーの青木邦彦さんにお話を伺った。

Stamina Art Companyという“場所”

「Stamina Art Company」が拠点とするシンコービル301号室は、共同代表それぞれが生業とする活動の事務所機能も併せもつ。久地岡さんは「次元事務所」(建築・施工)、三ツ山さんは「子どもの育ちのためのアートらぼ」(幼児の造形教育)だ。運営メンバーの青木さんは、電機関係の会社に勤めながら、週に1度ほどこの場所に通っている。専門が違う3人は、どのように出会ったのだろう。
 
3人の最初の接点は、3年に一度開催される現代アートの国際展「横浜トリエンナーレ(以下、横トリ)」だ。今年8回目を迎えた同展は、第4回目(2011年)から横浜美術館が主な会場の一つとなった。開館当初から2019年まで横浜美術館に勤めていた三ツ山さんは、企画運営として横トリに携わっていた。一方、久地岡さんと青木さんは、長年市民ボランティアとして横トリをともに盛り上げるサポーター活動をしていたという。
当時はお互い別々で活動をしていたが、数年後に黄金町で出会うことになる。
 
「黄金町は、昔からいろいろな人、催し、さらには居場所のようなものが集まるところ。久地岡さんたちサポーターの事務所もありました。Stamina Art Companyは関内からも何か発信できるのではないかという思いから立ち上げた、志をともにする人たちが集まる場所。一人で何かに夢中になるのもいいけれど、誰かと夢をみたり共感したりというのは、やはりダイナミックな可能性があり、面白い。個々が感心したことの話を持ち寄り、それぞれの専門から少しはみ出るような、意外なこともみんなで楽しみたい。それがStamina Art Companyです」と三ツ山さん。

Stamina Art Companyの内装

久地岡さんは「キッチンもしっかりつくったので、いつでも飲める、しゃべれる。このビルの人たちも気軽に立ち寄れるような場所になるといいなと思っています。作品を置けるスペースもあるので、小さい個展などもしたいですね」と話す。
 
集いの場だけでなく、泰有社ビルの屋上を使った親子のためのワークショップの開催や、YouTubeなどを利用したトークイベントの配信の構想もあるそうだ。配信の映像制作やホームページの運営などは青木さんが担う。

「ものづくりの道具もいっぱい置いてあるから、何かあれば貸すこともできますよ」と久地岡さん

「アートは“美術”だけではない。技術や経験」――三ツ山一志さん

三ツ山さんは大学卒業後、彫刻家としてものづくりをしながら、幼稚園で絵の先生として働いていた。その後、横浜美術館開館とともに子どものアトリエを担当し、同館の副館長、横浜市民ギャラリー館長、横浜市民ギャラリーあざみ野館長などを経て、2019年に黄金町で「子どもの育ちのためのアートらぼ(子らぼ)」を立ち上げた。
 
子どもに美術を教えることについて、三ツ山さんはこう話す。
 
「美術を教えるというより、子どもが成長していく過程に付き合うことだと思います。子どもに『絵を描こうぜ』『何かつくろうぜ』と言うのは、『美術をやろうぜ』と言っているわけではなく、『サッカーやろうぜ』と言うのと同じ感覚。またアートは、まっすぐ切れるか、平面で塗れるか、ぼかせられるかなどといった技術を学ぶことでもある。そういうことに時間をかけたり、身につけたりした人は生活が豊かになるんじゃないでしょうか」

三ツ山一志さん

横浜美術館では、「人に合わせて美術をひらいていく」仕事をしてきたという。まずは子どもたちが美術館のそばに来るきっかけをつくった。
 
「子どもたちにとって、展示室に入らなくても、美術館のわきで粘土を触ったり、絵の具でぐちゃぐちゃになったりという経験は、『美術館に来たらしい』という記憶になります。次に美術館に来る機会があったとき『あ、子どものときに行ったことがある』と思えば、敷居は高くない。美術に馴染みのない人に興味をもってもらうための教育普及も、美術館の大事な仕事です。『わかる』とか『上手』だと感心するだけじゃなくていい。『これの何がいいんだろう?』と首をかしげても、『変だ』と言ってもいい。『変だけど、なんか面白い』というのもありますよね」

部屋に点在する木工作品
粘土でつくったたくさんの猫たち。この部屋に訪れた人に一つ手渡しているという

「全部誰かがつくっている」――久地岡聡志さん

幼い頃から絵画やものづくりが得意だったという久地岡さんは、本業の建築や施工管理の技術を生かし、パブリックアートや舞台美術の制作、アートプロジェクトの企画にも携わっている。

久地岡聡志さん

「黄金町の山野真悟さんから声をかけていただき2年間ほどやっていたのが、金沢区の団地を使った『ナミキアートプラス』です。期間限定でまちにパブリックアートを置いたプロジェクト。偶然ですが金沢区並木は私の地元なんです。当時の黄金町のスタッフとともに運営やアーティストの作品施工などに関わり、まちの人たちと交流しながら企画を立ち上げていきました」
 
ナミキアートプラスが始まったのは、ちょうど新型コロナウイルスによる自粛が始まる直前だった。2019年度に飯川雄大さんのアート作品を街中に設置する「猫の小林さんと遊ぼう!プロジェクト」を実施し、2020年度はキム・ガウンさんと池田光宏さんの作品を商店街やまちなかに展示した。同時に展開したorangcosong(住吉山実里+藤原ちから)による「演劇クエスト-白昼のバスケット冒険団とふしぎな依頼人たち-」は、オリジナルの“ゲームブック”を手に、まちなかを歩きながら体験する作品。電子版やスマホ版の制作には、青木さんが関わっている。
 
なかでも飯川雄大さんの《デコレータークラブ-ピンクの猫の小林さん-》の制作は、久地岡さんが作品を施工する契機になり、挑戦だったという。「大きな作品なので、かなり本業のノウハウを使いましたよ」と久地岡さん。2階建ての診療所の裏に設置した10mほどの巨大な猫の作品で、中に足場を組み立て、まるで建物を建てるようにつくったそうだ。

飯川雄大《デコレータークラブ-ピンクの猫の小林さん-》(右下、出典:ナミキアートプラス 記録集)*

実はこの作品が、久地岡さんと三ツ山さんが出会う直接的なきっかけになった。
「猫の小林さん」を見たとき、巨大な作品をどのようにつくったのかということに興味をもったという三ツ山さん。「調べるうちに、つくったのが久地岡さんたちだとわかったんです」と話す。
 
「美術作品は作家の名前は出るけれど、そのほかの人たちは表に出ないことが多い。しかし、チームがあり、そのなかに各々の技術があるということを記録したり、広く知ってもらうことは、実はとても大切なことだと思います」
 
久地岡さんも「Stamina Art Companyは、そういう“裏方”を応援する場所にもしたいんです」と続ける。
 
「もともと私自身、最初はアートを見るのが好きだったのですが、アーティストはもちろん、全部誰かの手でつくられているんだと思ったら、インストーラーという仕事があることがわかってきた。それで、機会があればやってみたいなと。いま黄金町の設営や舞台美術などにも携わっていますが、横トリのサポーター時代に出会った仲間から声をかけられることが多いんです。それは、私がアートの制作もやるんだと、みんなに知ってもらえたことが大きいと思います」

進化する内装

シンコービルを選んだきっかけは、当時横トリの事務局次長だった上野正也さん(現・神奈川大学 建築学部准教授)からの紹介。「上野さんは泰生ポーチに入られていて、不動産屋さんが面白くていいよと聞いたんです」と久地岡さん。
内見時はまだ入居者がいたが、広い部屋を希望したときに空き予定だと見せてもらったのが301号室だという。
「この部屋はきれいに整っていなくて、それが逆にいじりやすいかなと。ちょうどその頃三ツ山さんは入院していたから、帰ってくる前につくってびっくりさせてやろうと計画していたのに、思いのほか退院が早く(笑)。びっくりはさせられなかったものの、三ツ山さんにプレゼントとしてみんなで使う“作業部屋”をつくりました」

久地岡さんが三ツ山さんにプレゼントした作業部屋

内装は、半分は久地岡さんたちのセルフビルド、半分は本業の仲間である職人さんの手を借りて施工した。
こだわりは、やはりコックピットのような“作業部屋”だ。ここで三ツ山さんが木工作品を制作している。そして、真ん中の机があるスペース。みんなで集まって話をする場所であり、時には作業場にもトランスフォームする。
また、ほとんどが余材・廃材を使っているのも特徴だ。元々あった壁を壊した板や、どこかの展示で使っていた材料などを、パッチワークして再利用している。
 
久地岡さんは「まだまだこれからきっと変わっていくので、ここが進化していく様子もぜひ見にきてください。現場で余った材料をもってきて、何か足すかもしれないし、床が大きく変わっているかもしれないですよ」と話す。
 
始動したばかりのStamina Art Company。進化する内装、そして集まる人たちとともに、ここがどのような場所になっていくのか楽しみだ。

奥の工事中のスペースは、映像作品の展示や映画上映会などができる場所に
三ツ山さんがつくった神棚

PROFILE

Stamina Art Company

三ツ山一志、久地岡聡志の2名を共同発起人に2023年に設立。同年7月よりシンコービルの一室に居を構え、「Artは美術と解釈するのではなく、人々がより良く生きるための、また実現したいことを実行するための技術や方法と解釈したい」、そんな志を持つ人々の集まる場所をめざす。青木邦彦をはじめ、メンバー増殖中。