かつてNHKキャスターとして、広島や大阪で取材に飛び回った船本由佳さんは、船が錨を下ろすように横浜に根を下ろした。退職後は慣れない子育てに悩んだことも。そんな経験から、子育てやまちづくり、防災といった領域でコミュニティ活動を行う船本さんが経歴を振り返る。
「社会に居場所がない」と感じた初めての子育て
船本由佳さんは元NHKキャスター。学生時代に阪神・淡路大震災を経験したことからメディア業界を志した。NHK在職時代は広島放送局、大阪放送局で報道番組キャスターなどを務め、多方面で活躍した。2008年にNHK横浜放送局で番組をもつことになり、縁もゆかりもない横浜へ。その後、東日本大震災発生の同年に結婚。2012年に出産を経験し、子育てに専念するためNHKを退職した。船本さんは当時を振り返って、子育ての大変さをこんなふうに表現する。
「メディアにいたころは、自分のために24時間を使ってもいい。どこにでも取材に行けて、夜なべして原稿も書ける。でも、子育て中は23時間59分を子どもに費やして悩んでいて。初めての子育てで自信もなく、寄る辺がない気持ち。『社会に居場所がない』ってこんな感じかって知りました」
無力感に沈む中、中区の本牧地区センターで「なにかやりたいことがあるママ募集!!」と謳う張り紙を船本さんは見つけた。その呼びかけに応えたママ友10人で「まま力の会」を結成。子育て当事者が子育てしやすいまちをつくるために、ワークショップやマルシェなどの地域活動を自由に企画・運営した。
その活動の一つが「まちのミシンを持つ」プロジェクトだった。不要になったミシンを地域から集め、保育園や幼稚園で使う手提げなどを一緒につくるワークショップだ。
プロジェクトを始めるにあたっては、「NPO法人コミュニティデザイン・ラボ」の杉浦裕樹さんの助言があった。その関係性もあって、杉浦さんが当時借りていた泰生ビル2階がミシンの保管場所やワークショップスペースとなった。泰生ポーチ1階にミシンカフェを開く構想もあったそうで、「このときから泰有社コミュニティとの深い関わりがあった」と船本さんは言う。
2018年、建築設計事務所「株式会社オンデザインパートナーズ」が泰生ビル2階を借りるにあたって、船本さんの活動拠点は「神奈川県住宅供給公社」の1・2階に移転した。「Kosha33」と呼ばれたそのスペースは、子育て当事者の地域活動のために船本さんたちに貸し出された。
まま力の会からライフデザインラボへ
最初は母親だけで集まったまま力の会だったが、「さらに社会とつながっていろんな人と混ざり合いたい」と船本さんは考えるようになる。
「子育て当事者だけが連帯して『子育てを変えたい』と叫んでも、社会は変わらない。社会の大勢の人たちに私たちの課題を知ってもらって、私たちも社会になにかお返しをしないと子育てしやすいまちはできないと分かりました。だから『ママ』とか『キッズ』といった言葉は封印して、関わる人を限定しないと決めました」
そうして、まま力の会は「ライフデザインラボ」と名を改め、活動を拡大。「ライフステージの変化で悩んでいる人たちが自信をもって次の人生を歩めるように」。そんな願いを名前に込めた。現在は「研究員」と呼ばれる仲間たちが50人近く有志で集まっている。
居場所や地域のつながりをつくる“実験室”としてKosha33で5年ほど活動したが、2022年12月からのビルの大規模改修工事に伴い、コミュニティスペースとしてのライフデザインラボは休止した。2024年10月、公社の戻り移転が決定。ライフデザインラボの次のステップを模索していた船本さんは泰生ポーチ201号室の空室情報を見つけ、急いで契約した。多忙な中、少しずつ201号室へ荷物を運び込んでいる。
ここに自分の港をもって
次に船本さんが目指すのは継続的なつながりづくり。そのアイデアの一つが「観光案内所」をもじった「関係案内所」だ。人と出会って視野を広げられる場所をつくることが、これからの中長期目標だ。
「私は子どもを連れてアメリカ・オレゴン州ポートランドに視察に行ったことがあるんです。そこでの生活は自主性があふれていました。この横浜も、一過性の観光で消費されることなく、『あの人にまた会いたい、関りたい』と思ってくれる関係人口を増やしたいんです。関係案内所ではまちと人が出会える活動をしたいと思っています」
船本さんの関心は広く、そして深い。でも、軸にあるのは「防災」と「発信」だ。泰生ポーチフロントで防災備蓄食を食べ比べるカフェや防災サロンをオープンし、まちなかに助け合えるつながりを増やしたいとも言う。アイデアの具現化や直近のイベント準備などで大忙し。引っ越して3カ月経ったにもかかわらず、201号室の整理が終わらないと船本さんは笑う。
201号室でライフデザインラボの象徴となるアイテムを引っ張り出しながら、船本さんはメディア在籍時代の経験も込めてじっくりと社会への思いを話してくれた。
「私の姓は“船本”で、メディアで働いていたときは船のように港に立ち寄って人に出会ってきました。広島では被爆者や被爆3世に取材して、平和の大切さを伝えることができたと思う。でも、自分からくる苦しみを伝えることはないんだなと思っていました」
「横浜に自分の港をもつようになって、子育てを経験して、ようやく当事者として発信できるテーマができたんです。あらゆる人が苦しい思いをしているのに多数派の人の意見でまちのことは決まっちゃう。誰もが少数派になる可能性はあるわけなのにね。多様性に応じた社会になっていったらいいと思いますけれどね。うん」
船本さんは約1時間の取材で、その歩みや思いを、体をさらう波のようにとめどなく伝えてくれた。「いろいろありすぎて、キャスターだったのに話にまとまりがなくて…」と明るく破顔する姿が素敵だった。
PROFILE
船本由佳[ふなもと・ゆか]
大阪府出身。阪神・淡路大震災を経験した際にメディアの重要性を感じ、「情報が発信できる仕事がしたい」と放送局に就職。
倉敷ケーブルテレビ、NHK広島放送局を経てフリーキャスターに転身し、地元大阪でトーク番組を担当。その後、横浜放送局のFMパーソナリティーとしてジャズなどの文化・芸術を発信した。東日本大震災の際、震災と芸術をテーマに取材を行い、2011年度の「全国NHK地域キャスター表彰」を受賞。
出産を機にキャスターをいったん離れ、子育てに悩む母親たちとともに「まま力の会」を立ち上げる。あるイベント時にさまざまな世代から助けられた経験により、頼れる人をたくさん持つこと=「つながること」だと気づき、そしてそれを発信する重要さを感じてライフデザインラボを設立。
取材・文:中尾江利(voids)
写真:菅原康太