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泰生ビル
入居者ファイル#02
杉浦裕樹さん(NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ)/ 岡本 真さん(アカデミック・リソース・ガイド)

泰有社の各拠点で活躍する人々にスポットをあて、紹介していく「入居者ファイル」シリーズ。
今回は、泰生ビルの杉浦裕樹さんと岡本 真さん。杉浦さんは、NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの代表理事でもあり、ウェブメディア「ヨコハマ経済新聞」の編集長。また、岡本さんは、アカデミック・リソース・ガイドという会社を起業し、「情報発信」「編集」を軸にした仕事に手掛けている。

カオス化する泰生ビル

2008年のリーマンショック以降、空き部屋が目立ち、借り手が見つからなかった泰生ビルをクリエイターらの拠点として再生しようと考えはじめた泰有社の伊藤さん。そこで相談を持ちかけた横浜市芸術文化振興財団の杉崎栄介さんが「まず、この人に会ってみれば」と勧めた人物がNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ(以下「ラボ」)代表理事で、横浜都心臨海部をカバーするウェブメディア「ヨコハマ経済新聞」(以下・ハマ経)の編集長・杉浦裕樹さんだった。

NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ代表理事の杉浦裕樹さん

2003年から横浜で「地域情報化」を軸に活動するラボは、事務所を転々としながら活動を続けていた。2010年まで事務所を構えていたのは中区若葉町。いわゆる「関外地区」だった。
 

「若葉町も面白く、エキサイティングだったが、まちづくりNPOとして、もっと気軽に足を運んでもらえる場に拠点があってもいい」と思っていた杉浦さんは、泰生ビルを知り、まず自分自身が3階住居部分に引っ越した。ほどなく、ラボの拠点として2階の小さな1室も借りた。2階事務所エリアには、株式会社「リーフ」と、ビル入居者の休憩室のみしかなく、2階の一番大きなスペース(現在のシェアオフィス)も、ドレスレンタル店が撤退した後、そのまま空いていた状態だった。

NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの拠点で行われるミーティング

約40平方メートルあまりの小さな事務所に、ラボ理事・岡本 真さんが代表を務める図書館・公共施設コンサルティングを手がける株式会社「アカデミック・リソース・ガイド」、デザイナーの佐藤理樹さん・小野寺志保さんによるユニット「アルファデザイン」も拠点を置き、活動が始まった。
 

日本最大級のポータルサイト「Yahoo! JAPAN」のウェブプロデューサーを辞めて起業した岡本さんは、のちに407号室を借り、「さくらWORKS<関内>407」に事務所を移している。全国各地に出張する岡本さんだは、当初から「横浜で働く価値」を意識していた。

アカデミック・リソース・ガイドの岡本 真さん

東京都心まで毎日通勤していて疲弊していてはクリエイティブな仕事はできない。「職住接近で時間を有効に使えることはもちろん、官庁街の関内エリアは利便性が高く、ビジネスパートナーとなる人たちも結構いる。このため頻繁に都内に出向く必要がない。羽田空港・新幹線駅も近い」と、関内ライフの利点を挙げた。さらに「関内には、まちづくりの仕事に欠かせない建築家やデザイナーの顔が見え、いつでも情報交換ができる」という。ちなみに、岡本さんの通勤時間は徒歩10分。
 

「情報発信」「編集」を軸にした彼らの仕事柄だろうか、杉浦さんも岡本さんも非常に知り合いが多い。
さまざまな人たちが泰生ビルの新しい拠点を訪れ、そこで「空き室がある」「原状復帰しなくても大丈夫」という話を聞き、関心を持つのだという。ラボ会員に対してシェアオフィスについてのアンケートをとったところ「関心ある」というメンバーが多く、2011年初頭、関内桜通りに面した大きなスペースも借りることになった。
 

泰生ビル5階に入居した稲吉稔さん・渡辺 梓さんによるアートユニット「似て非works」によるリノベーションを経て、東日本大震災(2011年3月11日)の翌月、シェアオフィス「さくらWORKS<関内>」がオープン。続く2012年には、芸術不動産事業の助成を生かして多目的スペースとなった「右側」も稼働し、ここから泰生ビルの「カオス」な状況が生まれていった。

文・写真:宮島真希子

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