「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する入居者ファイルインタビューシリーズ。
今回は泰生ビルに拠点をおく「旅するコンフィチュール」の違 克美さんにご登場いただきます。
刺激を受けながらお菓子を作る自分の姿をイメージ
2013年初め、月に1回、さくらWORKS<関内>右側で開催されていた「オープンナイト」イベントで、泰生ビルのことを知ったのは製菓工房「旅するコンフィチュール」を運営する違 克美さんだ。
好きだった菓子作りが存分にできる、そんな工房が欲しいという夢を持ちながら、「フォーラム南太田」(横浜市南区南太田1)の「めぐカフェ」で、料理指導・カフェ運営をしていた違さんは、2012年ごろ、市内マルシェなどで人気が出てきた“コンフィチュール”作りに絞って独立を考えていた。
「新鮮な果実を使ったジャムを作るには、郊外に引っ込み、ひたすら1人で製造に向き合うやり方しかないのか」と考えていた違さんは、同ビルに入居しているNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦さんから泰生ビルの空き部屋について聞き、2013年3月に泰有社の伊藤さんに内見を頼んだ。
リフォームが済んだ小ぎれいな部屋より「ボロボロの部屋を見て大喜びしていました」と、当時の違さんの様子について、伊藤さんは振り返る。
「確かに部屋は古くて暗かった。けれど、この場所でいろいろな人と関わり、刺激を受けながらお菓子を作る自分の姿がありありと見えて、本当にワクワクした」(違さん)と、即決で部屋を借りることに。
しかし、もともと住居用に設計された部屋ゆえ、プロの業務に耐えうるガス・電気などの出力確保が難しく、リフォームは難航。2013年10月に工房オープンを決めたももの、「冷蔵庫が大き過ぎて入らない」「ガス配管も限界がある」など次々と難問が降りかかった。「驚いたのは、インフラが整備され、工事着工OKとなるまで、泰有社さんが賃貸契約を待ってくれたこと。ありがたかった」と、違さんは勢いでオープンにこぎつけた半年間を述懐する。
人が行き来するなかで「仕事」を生み出したい
「さくらWORKS<関内>右側」で開催したオープニングパーティーには、100人を超す知人・友人らが訪れた。また、直後の11月に行われた「関内外オープン」にも参加。「ビルのポテンシャルに乗っからせてもらった。あのパーティーも、あれだけの人を集めたということで周りの人たちの私を見る目も変わったし、事業の価値を目に見える形にできた」と話す。
素材を生かした宝石のような色の美しさ・おいしさと「ビルの中のジャム工房」という意外性もあって、「旅するコンフィチュール」はメディアにもたびたび取り上げられた。また、横浜市役所や神奈川県庁など、役所が近いため“地産地消”に関連する担当者らが、「はまふうどコンシェルジュ」の資格を持ち、県内の農家・生産者とのネットワークもある違さんと情報交換に立ち寄ることも珍しくない。
2017年にキッチン部分を大幅リフォームし、業務拡大体制も整った。
「1つ上の5階にできた保育所でスタッフの子どもを預かってもらったり、ビル内のデザイナーさんからコンフィチュールの卸先を紹介してもらったり……。最初に描いていた『人の行き来のなかで仕事を生み出す』というイメージ通りになっている。これからはお客さんに直接販売する場を増やしていきたい」と、違さんは甘い香り漂う工房を拠点に、さらに「街へつながろう」と思いを巡らせている。
PROFILE
違 克美(チガイ・カツミ)/2003年 ル・コルドンブルーにて製菓ディプロム取得。これに前後して5年半のアメリカ生活、数度に渡るパリ、ベルギー滞在時に食に関する知識と経験を深め、現地で素材を調達し現地でコンフィチュールをつくる試みなども重ねる。フランス菓子、コンフィチュールを求め、フランス全土を旅したことが「旅するコンフィチュール」の名前の由来のひとつにもなっている。その後、パティスリー勤務やショコラショップ勤務を経て、2010年にカフェの立ち上げに関わり、メニュー企画、店舗運営マネジメント、スタッフ育成、現場での調理、接客と3年間店の運営を経験。2013年、自主事業「旅するコンフィチュール」をスタート。パーティ・イベントへのケータリング、料理教室などの他、小学校から大学までの児童や学生への講演、トークショーでのスピーカーなども務める。
文・写真:宮島真希子