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トキワビル/シンコービル
入居者ファイル#12
高野萌美さん(アーティスト)

「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回はトキワビルにスタジオを構えるアーティストの高野萌美(たかの・もえみ)さんにご登場いただきます。

横浜で生まれ育ち、ロンドンで学び、そして再び横浜へ

アーティストの高野萌美さんがトキワビルに入居したのは、2018年11月。制作スタジオを探していたとき、物件情報を見て問い合わせところ、たまたま空きがあったという。以来この一室をスタジオとして、時には展示スペースとして活用している。
 

横浜に生まれ育った高野さん。絵を描くことが好きで、アートの道を志していた高校生の頃、「黄金町バザール」や「BankART1929」のイベントで現代美術の存在を知った。
 

「横浜で現代美術に触れたことで『美術って絵だけでない。なんでもできるんだ』と思ったんです」。
 

高校卒業後は1年間、日本の専門学校で留学準備をし、その後イギリスにあるロンドン大学ゴールドスミスカレッジのファインアートコースに入学。大学卒業後は横浜に戻った。横浜を拠点に制作を続けながら、台湾でのグループ展やペルーのアーティスト・イン・レジデンスに参加するなど、海外での発表も精力的に行う。

高野さんの制作中の作品

「作家活動の悩みなどでモヤモヤしても、このスタジオに座っていると落ち着きます。自分の空間があるのはいいですね。トキワビルは、築年数は経っているけれどリノベーションされてきれいなところも気に入っています」と話す。
 

2019年11月1日より、このスタジオで展覧会も開催する。高野さん自身の個展かと思いきや、知り合いのアーティスト・窪田久美子さんの個展を自ら企画したという。
 

「窪田さんの作品を2年前に初めて見て、感銘を受けたことからこの構想が始まりました。手を動かしてものをつくるのも好きですが、考えたことを文章にすることも好きなんです。展示の企画文をつくり、窪田さんの作品について考えることで、また自分の作品を考え直すきっかけにもなります」
 

それを聞いて、言葉を選びながら慎重に話す高野さんの話し方に納得した。普段から、思いついた言葉はスマホに書き留めているという。そのストックした言葉を起点に、作品や展示のタイトルにしたり、ステイトメントを書いたりすることも。
 

「ロンドンの大学では本を読んで論文を書くトレーニングもあり、それで言葉が好きになりました。特に、最初に結論を述べた後に裏付けをする論文のスタイルは、日々のごちゃごちゃとした思考が整理されていくようで気持ちがいいんです」

2019年6月、トキワビルの自身のスタジオで開催した個展にて

ここではない「どこか遠くの別の場所」への憧れ

高野さんが一つひとつ慎重に選ぶのは言葉だけではない。
素材の選択や制作方法を常に試行錯誤しながら、作品を生み出している。厚手の布地に幾何学形の模様や刺繍が施され、異国にある壁やテキスタイルを切り取ったような作品。その制作方法を聞くと、膨大な時間と多様な工程を得ていることに驚く。木片でつくったスタンプを布地に押し、そのあとに壁用の塗料で彩色し、刺繍をする。どの工程にも手間がかかる。

薄い板でスタンプをつくり(写真上)、模様にしていく(写真下)

「最近、私の作品はその全てがドローイングだな、と思うんです」。ドローイングとは、作品をつくるための下書きの意味合いもあるが、高野さんは「ひとつの作品のために何枚もドローイングを描くのではなく、制作過程も完成品も含めて、私の場合すべてがドローイングかもしれません。常に迷いがあるからでしょうか。たくさんつくったなかから、見える共通点や変化もあるかもしれない。それを大事にしたいと思っています」と話す。
 

ある目的に向かって進むのではなく、トライアンドエラーを繰り返しながら多様な可能性を導く。それは常にひとつのものに満足しない、ストイックさともとれるかもしれない。
 

「大学では、作品に対し『Why(なぜ)』を問われる環境でした。一つひとつに理由がなければいけないんです。なぜ絵を描くのか、なぜこの色なのか、と。それは今の制作スタイルに影響を与えています」。

トキワビルにて

そうして生まれた作品は「どこかで見たことがあるけれど、どこにも存在しないであろう模様や柄」だという。
 

「私自身が、『別の場所』に憧れているのです。横浜で生まれ育って、都市でしか生活をしたことがないことも関係しています。都会は情報が多く、例えば本屋に入ればあらゆる国のガイドブックや写真集を見ることができる。ここにもあそこにも行きたい、と妄想が膨らむ一方で、選択肢が多すぎて動けない。その葛藤を作品にしています」
 

選択肢が多く自由であるほど、本当に自分はここにいるべきなのか、と不安な気持ちになる。だからこそ「ひとつの場所で時間をかけて作品をつくりたい」と言う。

素材の用途を限定したくないんです」と高野さん。刺繍に使う糸は刺繍糸に限らない

高野さんは最後に「アーティストという職業は苦しいですね」とぽろっとこぼした。
「誰にも頼まれていないことを苦しむって厄介だなあと思います」
 

それでも作品をつくり続ける動機をどのように保っているのだろう。
 

「自然と手を動かしてしまうということ、また一度止めたらずっとつくれなくなる恐怖もあります。ただ自分の作品を見た人が、体験や経験を話してくれる瞬間がとてもうれしい。作品を見て、昔住んだことのある場所や行ったことのある国の歴史や文化の話を聞けたとき、自分も別の場所に行けた感じがするのです」
 

このトキワビルの一室で、時間をかけて生まれた作品が、誰かの懐かしい記憶や遠い国の文化や歴史につながっていくのだ。

profile
高野萌美(たかの・もえみ)/1993年神奈川県生まれ。高校を卒業後に渡英し、ロンドンで現代アートを学ぶ。現地の大学で哲学や歴史との連関でアートを捉える教育を受けたことや、日用品や植物などの有機物を用いて手作業で作品をつくっていたことが、現在の文字や言葉(Text)と布や糸(Textile)を用いた制作スタイルの確立に繋がっている。2018年から国内外のさまざまな場所へ出かけ、染色や紡毛、機織りの技術を少しずつ持ち帰り、横浜・関内のスタジオで実験制作に励んでいる。https://www.moemitakano.com/

取材・文:佐藤恵美
写真:中川達彦