「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回はシンコービルに建築事務所を構えるトートアーキテクツの安田智紀(やすだ・ともき)さんと、安田千穂(やすだ・ちほ)さんにご登場いただきます。
事務所を自由にリノベーションできる利点
住宅、店舗、ホテルなどさまざまな設計を手がける建築事務所、トートアーキテクツLAB。代表の安田智紀さんは、35歳以下の若手建築家が選ばれる展覧会「Under 35 Architects exhibition」に出展するほか、多数のデザイン賞を受賞するなど、活躍が期待される建築家だ。そして日々の設計業務に追われる智紀さんを、公私ともに支えるのは、宅建士と保育士の資格を持つ妻の安田千穂さん。保育士の仕事をしながら、トートアーキテクツLABの会計や事務の仕事をこなしている。
広島の事務所に勤めていた智紀さんは、2015年の独立とともに出身地である横浜に戻った。最初は鎌倉に事務所を構えたが、家賃が高かったこともあり、ほどなくして知り合いに誘われたシェアオフィスに移る。それが、スタートしたばかりの泰生ポーチだった。
その後、向かいの泰生ビルに移り、また泰生ポーチに戻り、そして2020年3月に現在のシンコービルに入居、と事業規模に沿うように事務所も移転してきた。いずれも泰有社の物件ばかり。「家賃が安いのはもちろん、自分たちで何をしてもいいというところが一番の利点です」と、その魅力を語る。現在の事務所は無垢の床材に白い天井、キッチンと、本格的にリノベーションを施した。
「ここに打ち合わせにきた方が『こういう物件をつくってほしい』とおっしゃって、その場で契約したことがありました。事務所自体が自分の営業の場にもなります」
特有の「条件」が、ここでしかできないデザインを生む
現在は大阪のホテルや八王子のギャラリー、鎌倉の住宅など複数の案件を進行中だ。直近の依頼は新型コロナウイルス感染症が拡大しはじめた頃のこと。「この時代、お金を持っていてもしょうがない。1千万円で自分の好きな暮らしができる家をつくりたい」と依頼があった。依頼主はウェブでトートアーキテクツLABのことを知ったという。そこで提案したのは、コンテナを2つ置き、屋根をかけるという、シンプルだが趣味を楽しめる基地のような家。この提案に依頼主は「カフェとして貸すのもいいかもしれない」と、想像が膨らんだ。
今や仕事が途切れない人気建築家だが、多くの独立したての建築家のようにはじめは仕事があまりなかった。時間があったぶん、自身のウェブサイトを丁寧につくったり、建築家をマッチングするサイトに載せてもらったりと、情報を伝えること、知ってもらうことに注力した。その甲斐あって、今ではウェブを見て依頼がくることも多いという。
お客さんとの最初の打ち合わせでは「どんな建物にしたいか、何が必要かなど、思いの丈を自由に吐き出してもらっています」と智紀さん。そこに、トートアーキテクツLABにとって最も大事な設計のポイントが詰まっている。
「敷地の条件やデザインの希望などを、パズルのようにできるだけ組み替えて、収まるようにしています。それでもなかには無理難題もあり、自分ではどうしようもないと思うときもありますが、『できません』と諦めたり抗ったりするのではなく、その条件があるからこそもっといいものができる、と考えるようにしています。そうすると自分一人ではできない、唯一無二の設計になっていくと思うのです」
依頼主と一緒につくる建築。その関係性のつくり方
山梨・甲府の「大地の家」を設計したときも、そのパズルがハマった瞬間があったという。独立して間もない頃に手がけた気合の入った案件で、最初のプレゼンテーションでは7つの案を持っていった。依頼主からは「どの案もいいですね」と好評だったが、決まらなかった。「どれも決め手に欠ける案だったのです」と振り返る。
そんなプレゼンを3回ほど繰り返していたあるとき、最初に書いてもらった要望書を見返していた智紀さんは、「小さなバルコニーだったら必要ない」という記述で目を留めた。
「小さなバルコニーはゴミもたまりやすいし使わないことが多い、とおっしゃっていたからバルコニーは最初から省いていたんですよね。でも『小さな』バルコニーではなく、『大きな』バルコニーならいいのではないか、と。それで次の打ち合わせに1案だけ、模型をつくって持って行きました。すると『これですね!』と、その打ち合わせは5分で終わったのです」
これまでの流れと180度変えて挑んだ案は、バルコニーだらけの家だった。2階のバルコニーは屋上へと階段で続き富士山を望める、開放的な住宅を設計した。
依頼主との信頼関係を大事にする智紀さんは、思考のプロセスもなるべく共有している。
「自分がボツと考えている案や資料なども見せて、『ここがダメなので、こちらがいいと思います』と経緯を説明することも大事にしています。そうでないと『この部分は考えていないの?』とまた振り出しに戻ってしまう場合もありますし、お客さんの意見をその場で否定してしまうことにもなります」
そして「建てて終わり」ではなく、竣工後も建て主と連絡をとっている。
「遠方だと年に1度会えるか会えないかですが、時々見に行って『ああ、窓が大きくていいですね!』と初めてきたかのように自画自賛もしてしまいます(笑)」
こうした依頼主との関係の築き方は、仕事を進めながら見つけたもの。「一緒につくっている感じが大事だ、とやってみてわかったんです」と話す。トートアーキテクツLABの「ありそうでなかった」デザインは、丁寧なコミュニケーションと技術蓄積のなかから紡ぎ出されている。
profile
トートアーキテクツ LAB
2015年、安田智紀により設立。横浜、鎌倉、甲府を拠点に活動する。住宅の新築・改築のほか、店舗やホテルの内装、家具・プロダクトのデザインなどさまざまな建築設計を手がける。主な受賞や出展に、2020年「再築大賞」優秀賞、2017年「U-35 Architects exhibition」選出、2015年「住まいの環境デザインアワード2015」優秀賞ほか。
https://www.att-archi.com/
取材・文:佐藤恵美
写真:加藤甫(クレジットのないもの)
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