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泰生ビル
入居者ファイル#19
鹽野佐和子SARAさん

「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回は、泰生ビルのさくらWORKS<関内>を拠点に、乳がんサバイバーによる創作劇「ブレストウォーズ 恋する標準治療!」の脚本・演出を手がける鹽野佐和子SARA(しおのさわこ・さら)さんにご登場いただきます。

がんのなかでも、日本の女性がかかる割合がトップの乳がん。耳慣れた存在でありながら、治療の種類やプロセスについてはあまり知られていないのが現実だ。自身も乳がんサバイバーである鹽野佐和子SARAさんは、その経験をエンターテインメントのかたちで伝えようと、2019年から創作劇「ブレストウォーズ 恋する標準治療!」を企画。3月19日(金)~21日(日)にみどりアートパーク(横浜市緑区民文化センター)での公演を控えている。

20年ぶりの演劇作品

鹽野さんはアメリカの大学で演劇を学び、カナダでオリジナルの舞台も手がけていた。日本では吹替番組のスタジオディレクターも務めていたが、妊娠がきっかけとなり退職することに。「出産後も子育てと仕事を両立する環境が整っていなかったんです。当たり前に復帰できると思っていましたが、仕方なく辞めることになりました」と、生活との両立が難しいスタジオワークを振り返る。
 

その後は主に英語圏の映像作品などを手がけるフリーランスの翻訳家・シナリオライターとして活動し、2013年にさくらWORKS<関内>に入居。2016年からはスタッフとしても関わっている。
 

そんな鹽野さんに転機が訪れたのは2017年12月。ステージ3Cの乳がんが見つかり、医師からは全摘手術・乳房の再建はなしと伝えられた。「ドクターは、命より優先するものはないと考えます。でも患者としては、胸か命かという選択なんです。私は胸を落とすことができませんでした」。

鹽野佐和子SARAさん

進行が遅かったためさまざまな病院を転々とし、手術後すぐ再建をしてくれる医師と出会った。がんの発覚から手術まで、すでに5ヶ月が経過していた。手術後も悩んだ結果、抗がん剤ではなく放射線治療を選択。リンパ節にも転移があり、再建後の胸に合計33回放射線を当てたという。
 

こうした戸惑いや葛藤の経験を、何らかのかたちでまとめようと考えていた鹽野さん。1年間の治療を終えて「いまできることをしなければ」と、2019年の3月、自分でシナリオを書いて演出できる演劇にしようと思い立った。「ブレ恋!」は自身にとって約20年ぶりの演劇作品だ。

主治医との信頼関係から生まれた脚本

シナリオづくりは、まずは乳がんの人に話を聞くことからスタートした。乳がんと一口に言っても、ステージやサブタイプ、抗がん剤との相性などは人によってさまざま。また、患者団体の人からは、乳がん患者やサバイバーが集うSNSアプリ「Peer Ring(ピアリング)」を教えてもらった。
 

「アプリ内の交流のなかでも面白かったのが、『主治医ラ部(ラブ)』という部活動の存在です。医師と患者の関係は、恋人、夫婦、友達にも当てはまらない特殊なものですが、とにかく強い信頼がなければ治療が進みません。主治医への愛をつづるこの活動は象徴的だと思い、セリフにも取り入れました」

1年9ヶ月の時間をかけ、2020年12月に完成した台本の決定稿

「ブレ恋!」で印象的なのが、タイトルにも含まれている「標準治療」というキーワード。これは、現時点で最善の方法として世界的に決められたスタンダードな治療を指す。手術、抗がん剤、放射線、その後のホルモン剤の投与などが主な流れとなり、乳がん治療では最初に耳にする言葉だ。
 

鹽野さんはこの「標準治療」を、ポップな歌として演劇に盛り込んだ。「6分ちょっと歌って踊ると、なんとなく標準治療のことがわかります。この言葉だけでも覚えて帰ってもらえば、自分や家族が乳がんになっても、落ち着いて医師の言葉を聞くことができるはずです」。

ダンスの一コマ。医師と患者の関係を象徴する振り付けになっている*

しかし、医学的に正しい治療が、それぞれの患者にとって「ふさわしい」とは言い切れない部分もある。物語のなかでは、主人公の患者との決別を経て、再会した医師がこう投げかける。「もう一度、僕と一緒にあなたにあった最善の治療をしていきませんか?」
 

はじめは「もう一度、僕と一緒に標準治療しませんか?」という台詞を書いていた鹽野さん。「主治医に脚本について相談したら、『それは違うと思う』と言われたんです。私自身も標準治療からは外れていたので、主治医とは別の医師が手術を担当しています。『あなたにあった』最善の治療、つまり、標準治療のカスタマイズにたどり着いてほしいというのが主治医の考え方なんです」。
 

加えて主治医からは「この歌を歌って主人公が前向きになるようにしてほしい」という言葉をもらった。こうして生まれた歌詞が「私のガンはどんなガンかな どんなガンでもひとりじゃない」。

鹽野さんがはじめて脚本を周囲に見せたとき、「なぜ夫婦愛を描かないのか?」とよく問われたという。「私はありきたりの感動物語ではなく、医師と患者の関係、患者のリアルを発信したいんです。女が胸を痛めるといったらラブストーリーでしょ!」。恋愛にも似た駆け引きのなかに、強い信頼関係が見えてくるのが「ブレ恋!」のエッセンスだ。

男性や若い女性に向けて発信する

「もっとも乳がんにかかりやすい40~50代の女性は、家庭でも社会でも重要な役割を担っています。健康が守られるのは大事なことですが、乳がん関連のイベントや講演会に行くと、その年代の女性ばかりで、男性がいないんです」と鹽野さん。演劇というかたちを選んだのは、エンターテインメントを入り口に、男性や違う年代の人にも乳がんを知ってもらおうという意図がある。
 

「ブレ恋!」は15人の出演者のうち、3人が乳がんサバイバーだ。演技が初めての人もいるが、それぞれ俳優に負けない存在感を放っている。家族や友達に乳がん患者・サバイバーを持つ人がいるほか、スタッフに男性が多いことも特徴的。制作の段階から男性を巻き込み、多くの人に向けて発信することを目指している。

プロの女優と演技初挑戦の乳がんサバイバーが一緒に稽古に挑む*

また、横浜の知る人ぞ知るスポットが登場するのも見どころのひとつ。物語の舞台のひとつとなる患者ハウス「NPOラビッツベース」は、長屋をリノベーションした野毛山の多国籍交流拠点・CASACOをイメージした。医師2人が治療方針の違いをめぐって殺陣を繰り広げるのは、黄金町の高架下にあるバーTinysだ。

「軌道修正」する勇気

「ラビッツベースのみんなは軌道修正しながら生きています。軌道修正することは不幸なことじゃないってわかりました。不幸なのは、修正ができなくて新しい夢を持てなくて、絶望してしまうことだなって」。鹽野さんのメッセージが詰まった、主人公の台詞の一節だ。

コロナ禍で多くの人が行き詰まりを感じる現在。乳がんも人の夢や生きる希望を奪う存在だが、そこから軌道修正する道が必ずあると鹽野さんは語る。
 

「私も一度は絶望に陥りました。治療もしなくていいと思ったんです。でも、諦めずに頑張った自分がいたから、この舞台も実現しました。『ブレ恋!』を通して、軌道修正も悪くないって、想像した通りの道じゃないけど、私たちやっていけるじゃん!って思ってほしいんです」

ブレストウォーズ 恋する標準治療! 〜女の胸はときめくためにある。

日時:
3月19日(金)19:00〜 *プレミア公演(公開ゲネプロ)
3月20日(土)13:30〜、18:30〜
3月21日(日)14:00〜
会場:みどりアートパーク(横浜市緑区民文化センター)
住所:横浜市緑区長津田2丁目1-3( JR横浜線・東急田園都市線 長津田駅徒歩4分)
チケット:
3月19日プレミア公演(公開ゲネプロ):3,000円 / 学生先着50名様ご招待(Peatix取り扱いのみ)
その他の公演:前売り一般4,500円 / 学生3,000円、当日一般 4,800円 / 学生3,300円
購入はConfetti、Peatixから
※新型コロナウイルス感染症予防のため、上演時間が変更になる場合あり。3月10日以降、必ず公式ウェブサイトをご確認ください。上演の様子はオンライン配信も予定

PROFILE
鹽野佐和子SARA[しおのさわこ・さら]
THE RABBITS’ BASE代表。脚本・翻訳・演出家。株式会社東北新社映像テクノアカデミア、株式会社シナリオ・センター講師。 アメリカの大学で演劇を学び、札幌本多小劇場付属俳優養成所を経たのち、カナダでコミュニケーション学修士を収める。バンクーバーで檸檬座THEATREを旗揚げし、数年間演劇活動を重ね日系コミュニティの支持を得る。帰国後は吹替業界、演劇の英語セリフ指導などで活躍。 2018年をまるまる乳がん治療に費やしたのち、”乳がんのお芝居”を企て、現在心をこめて準備中! 作品に「ちびまる子ちゃん」英語版、TBSドラマ「幸せの贈り物」など。

取材・文:白尾芽(voids)
写真:加藤甫(*をのぞく)

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