「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。今回は、トキワビルの111号室に入居するTeam ZOOアトリエ・モビル/NPO有形デザイン機構の丸山欣也(まるやま・きんや)さん・浅沼秀治(あさぬま・ひではる)さん・斎藤穂高(さいとう・ほたか)さんにご登場いただきます。
トキワビルの111号室に入居する「Team ZOOアトリエ・モビル」と「NPO有形デザイン機構」。土地の魅力を反映した建築を各地で設計し、名護市庁舎をはじめ著名な建築物を多く手がけてきた。また「ワークショップ」を取り入れたユニークな設計プロセスでも知られる。Team ZOOアトリエ・モビルならではの建築づくりについて、丸山欣也さん・浅沼秀治さん・斎藤穂高さんにお話を聞いた。
ワークショップがつなげる建築の世界
「Team ZOOアトリエ・モビル(以下、アトリエ・モビル)」と「NPO有形デザイン機構(以下、有形デザイン)。いずれも建築家・丸山欣也さんを中心とした組織だが、それぞれ設立の時期が異なる。アトリエ・モビルは1968年に設立。今帰仁村中央公民館や日本建築学会賞を受賞した名護市庁舎(象設計集団と協働)など、著名な建築物を多く設計してきた。また有形デザインは、2003年当時、丸山さんたちが建築仕事をするうえで大切にしている「ワークショップ」を、積極的に活動できるようNPO法人として設立したという。
「丸山さんは日本でワークショップを広めた草分け的な存在」だと浅沼さんは話す。アトリエ・モビル設立当時から、日本やアメリカ、ヨーロッパなどの大学で広くワークショップを実施し、建築教育に力を入れてきた。丸山さんは「師である建築家・吉阪隆正さんの影響もあったと思う」と振り返る。早稲田大学産業技術専修学校(現早稲田大学芸術学校)で講師をしていたときには、生徒に向けてワークショップを用いた授業をしていた。だがコンピューターが普及しはじめると、手で描くことが減り危機感を感じたという丸山さん。そのため大学に入学して最初に学ぶベーシックデザインの段階で、できるだけ手を動かす作業を心がけた。
そうした活動のなか、丸山さんと浅沼さんの出会いがあった。浅沼さんが芸術学校学生時代の夏休み中に、今帰仁村中央公民館を修復するワークショップに参加。276本もの赤い柱が特徴的なこの公民館は、築年数50年近くが経ったいまも沖縄を代表する建物だ。「当時はポストモダンの雰囲気が漂う時代で、建築家もオシャレなイメージがありました。そんななかで丸山さんは日に焼けてタンクトップを着ていて(笑)。人柄にも惹かれましたが、なによりもその建築物が面白くて圧倒されました」。約10日間、中央公民館内で共同生活をし、建物を修復していくワークショップだったという。その後、浅沼さんはアトリエ・モビルに在籍するようになる。
一方、斎藤さんは大学で建築を学んでいたが、他業種に就職。その後たまたま早稲田大学芸術学校の広告を見て、軽い気持ちで参加したのが丸山さんたちとの出会いだった。当時はラグビーに専念していたという斎藤さんのように、ワークショップをきっかけとして建築の世界に入ってくる人も多かった。こうしたさまざまな人を歓迎する受け皿のような働きが有形デザインの特徴のひとつだ。
土地固有のものを大切にする
建築に関わるワークショップを幾度もひらいてきた有形デザインだが、プログラムの内容は独特だ。はじまりはどこの国でも基本は現地集合、現地解散。フランスで実施したときは、グルノーブル駅に集合ということだけを決めたという。「駅ではじめて顔合わせをして。丸山さんが内容を説明したら『お前は彼/彼女のところに泊まれ』って初対面のフランス人の家に同居させられたんです」と浅沼さん。数日過ごしていくうちに仲良くなってくるも、丸山さんがすぐにグループをバラバラにして、あらたに関係性を構築しなければならなかった。「意地悪ですよね」と笑う浅沼さんだが、ワークショップをとおして異国間の文化の違いに素早く対応できるよう鍛えられたそうだ。
同じくフランス・ナント市で2007年にスタートしたビエンナーレ・エスティエールに、丸山さんは作家として招待された。「芸術家ではないけれど参加しました。『ワークショップをやらせてほしい』とこちら側から提案をしたんです」と丸山さん。「子どものための公園」をコンセプトとし、日本やフランスの学生や職人、料理人、造園家などが、近くのパンブフ村に1ヶ月間滞在。ワークショップとして共同生活をしながら、地元の廃材などを利用した公園や庭園、茶室をつくった。
丸山さんは「廃材を使うのは重要で、なによりもお金がかからない。まずは会場となるまちをじっくり歩いて、無料で手に入る材料を探したり交渉したりするんです」と話す。ナント市では、大西洋で養殖されている牡蠣の貝殻や、その養殖時に使用する樫の木が多く、石灰にしたり足場にしたりした。このように地元のものを使うことで、結果的に地場産業を助けることになるという。
本来ならばビエンナーレということもあり2年経つと取り壊されるところだが、村から公園として残したいという要望があり、丸山さんの公園はいまも残っている。「村の人たちが手入れをしてくれています。こういうかたちで地元の人たちの役に立っていると嬉しいですね」。
先人との対話。建物に想いを残す
2020年4月には、アトリエ・モビルが設計として携わった「江原河畔劇場」がオープン。もともと役場や商工会館として利用されていた歴史ある建物で、創建は86年前にさかのぼる。「これだけ建物が古いと、いまとはつくりが違うんです。『ここはこうなっている、じゃあこうしよう』というように、先人の職人と対話するようで面白かったですね」。商工会館を劇場につくり変える上で、1階を150人収容可能な広いホールに改装。劇場として天井を高くする必要があったため、木造建築だったことを活かし、梁を切断して持ち上げた。
江原河畔劇場でも、もちろんワークショップを実施した。子どもたちを含む約30人が集まり、近くを流れる円山川の石を拾って、エントランスの床に埋め込んだという。「なるべく地元の人に関わってもらえるように、婦人会などにアプローチしました。どんな人でも参加しやすい状況をつくるのも大切。子どもたちも楽しそうでよかったですね」。他所のやり方ではなく、この場所のかたちをつくり上げることを目指し取り組んだ。
「ワークショップをとおして建物が自分のものになる感覚が芽生えるんですよ。今帰仁村中央公民館でも、貝殻を埋めるなどのワークショップを地元の人とやって、いまでも残っています。人と人とがつながって建物ができていく。経済原理で動くのではなく、人の想いが建物に入っているのが良いんです」
復興をとおして人との関係性を築く
丸山さんたちが取り組むのは劇場などの施設だけではない。有形デザインでは2011年3月11日の東日本大震災の発生を受け、復興のためのワークショップをスタート。被災した地域で必要なお風呂や、コミュニティ施設をセルフビルドで制作した。斎藤さんは現場管理として有形デザインから現地に赴き、福島の人々と関わっていくうちに、2013年から2016年の間、現地の農業法人に就職したというから驚きだ。「東京からほとんど出たことがなかったなかで、地元の人と農業をし、考え方の違いなど身をもって感じることができました」。
また「田んぼアート」をとおして、福島との交流は現在もつづいている。震災後の2014年ごろには、福島でお米をつくれるようになるも、販売するのが難しい状況が続いた。それであればお米を使って絵を描けば見て楽しめ、多くの人々に知ってもらえると丸山さんたちは考えた。
田んぼアートは機械では植えることができないが、「だかこそおもしろい」と浅沼さんは話す。絵の模様ごとに色を変えるため、すべて手作業。さまざまな業種の人が集まって、ひとつのことを楽しむという時間が2014年から続いているという。「これも私たちが行ってきたワークショップの考え方のひとつです」。
地元住民とともに考える、建物の今後
横浜市が取り組む「芸術不動産事業」(空き物件をスタジオやアトリエとして活用する事業)をはじめ、古い建物をどう生かすかという議論が盛んだと浅沼さんは指摘する。塩害の影響を受けているという名護市役所や今帰仁村中央公民館について「今帰仁村の地元の人から、建物をどう残していくかというお話をいただいていて。もう一度ワークショップを取り入れながら、新しい使い方を考えようという話をしはじめた段階です。建築の専門家がなにかを言うよりも、地元の人々が“どう大事なのか”を考えることが大切だと思います」と語る。
現在は大阪であらたに小劇場を建てる計画が進んでいるほか、江原河畔劇場でも2階外側デッキなどを整備する予定だという。完成すると劇場横を流れる円山川が一望できる。浅沼さんは「私たちにとって江原はいろいろと縁のある街なんですよ。劇場のすぐ近くには、丸山さんの友人が設計した建物がいくつかあって。コロナが落ち着いたらみんなで川を眺めながらお酒を飲もうって話をしています」と今後の楽しみを語った。
建物を設計するだけでなく、その地域と、そこで生活する住民との関わりを重視するTeam ZOOアトリエ・モビル/NPO有形デザイン機構。建築とワークショップをとおして生まれるつながりが、今後も世界中に広がっていくのだろう。
PROFILE
Team ZOO アトリエモビル
地域の中から発見したものをデザインし建築をおこなっている、また世界各地でワークショップを開催している。代表作として象設計集団との協働による名護市庁舎、今帰仁村中央公民館。レゾネイトくじゅう、鳥海ホール、久住高原TAO音楽ホールなど。横浜での作品は神奈川区たいせつ保育園がある。
NPOデザイン機構
自力建設による参加型のワークショップや空間作り、まちづくりを行っている。代表作、ナント市 ビエンナーレ・エスティエルの公園作り。2011年より福島においてフランス財団からの支援を受け震災復興支援活動を行っており現在も継続中。
取材・文:中村元哉(voids)
写真:森本聡(カラーコーディネーション)(*をのぞく)
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