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トキワビル/シンコービル
入居者ファイル#11
櫻井淳さん・心平さん(櫻井計画工房)、桜井悦子さん(悦計画室)

「泰有社」物件に魅せられた人々を紹介する「入居者ファイル」シリーズ。 今回はトキワビル/シンコービルに拠点をおく櫻井計画工房の櫻井 淳さんと心平さん、そして悦計画室の桜井悦子さんにご登場いただきます

「櫻井計画工房」と「悦計画室」の仕事

トキワビル/シンコービルの中でもひときわ広々とした一室に、ところせましと並ぶ書籍や資料の棚。106・107号室を隔てていた壁を一部取り払い、リノベーションしたその部屋にオフィスを構えるのが、「櫻井計画工房」の櫻井淳さん、心平さん、そして「悦計画室」の桜井悦子さんだ。お三方は実の家族でもある。

トキワビル/シンコービルの106・107号室。宇徳ビルヨンカイからまとまった数のクリエイターがトキワビルへ移転してきた当初は、この部屋で自治会を開いていた

櫻井計画工房で手がけている仕事は、建築の設計から都市計画、コンサルティングまでと幅広い。もともと1979年に櫻井(淳)さんが立ち上げた「櫻井淳計画工房」が、2017年に「櫻井計画工房」と名称を変え、息子の心平さんへと代替わりして現在にいたる。そして悦計画室では、都市計画やまちづくりのコンサルティングなどを担っている。
 
櫻井さんご自身は今でも第一線で活躍しているものの、じつは毎週日曜日には説教にでかける牧師の顔もあわせ持つ。まちづくりから牧師までとは、その深い人間力に驚かされる。トキワビルの重鎮として親しまれている櫻井さんだが、心平さんに会社を任せ「少しずつそちら(牧師の仕事)に移っていきたいんだよね」と笑う。

左から櫻井淳さん、桜井悦子さん、息子の櫻井心平さん

今、オフィスをシェアしているからと言って、3人が昔から一緒に活動をしてきたわけではなかった。櫻井淳計画工房時代には、横浜では元町ショッピングストリートの設計や、後の創造都市(クリエイティブシティ)政策につながる事業の調査、遊休不動産にアーティストやクリエイターを誘致する芸術不動産の立ち上げ、黄金町のまちづくりに対するコンサルティングなど、現在の横浜におけるまちづくりの礎となるいくつもの事業を手がけてきた。2003年には、これまで別の建築事務所に8年ほど勤めていた心平さんが櫻井淳計画工房に加入する。長年オフィスを構えた渋谷から、2006年に「本町ビルシゴカイ」へ移転。その後「宇徳ビルヨンカイ」に移転したタイミングで、「悦計画室」もオフィスをシェアすることになる。
 
一方、悦子さんは東京で都市計画の御三家と言われた株式会社計画技術研究所に、約20年間勤続。全国各地の景観計画や政策、マスタープラン、緑化計画に関わっていた。同研究所が当時は珍しかった住民参加のまちづくりを早くから取り入れていた流れで、横浜のまちづくり条例や市民活動に関わるようになる。その後、独立して「悦計画室」を開き、横浜のシルクセンターやインペリアルビルに事務所を構えてきた。長年にわたり蓄積した専門的な知見で、独立後は馬車道商店街のコンサルティングや、防災、福祉、緑化などのまちづくりを行うとともに、福祉のまちづくりを目指すNPO法人横濱ジェントルタウン倶楽部や、市民の自発的なまちづくりを支援する横浜プランナーズネットワークの事務局を担っている。ちなみに106・107号室は、横濱ジェントルタウン倶楽部の拠点も兼ねた部屋だ。櫻井さんは同団体の副理事長を務めている。
 
「トキワビル/シンコービル」へは、ヨンカイを出て2017年に入居した。横濱ジェントルタウン倶楽部の拠点でもあるため、はじめは車椅子が上がれるエレベーター付きの物件を探していた。だが「芸術不動産」を立ち上げた自分たちが、それを実践するのも良いんじゃないかという思いが、エレベーターのないヴィンテージビル、トキワビルへの入居の一押しになったという。

今実感する、クリエイティブシティの成果

悦子さんの独立以降は、櫻井さんと仕事をシェアするケースも出てきた。
 
「創造都市政策に関わる仕事は、2人で組んでやっていました。現在の『YCC ヨコハマ創造都市センター』にあたる歴史的建築物を、アートの拠点として活用・保存する団体を公募する、募集要項づくりも手がけましたね。当時の公募ではNPO法人BankART1929が受託し、その後の横浜に大きな影響を与えるきっかけとなりました」(櫻井淳)
 
さらには「福祉のまちづくり条例」によるモデル地区第一号として、ここ関内駅周辺のまちづくり活動に2人で携わった。これが後の横濱ジェントルタウン倶楽部設立につながることになる。
 
「活動に参加した人たちが『これで終わりにするのはつまらない、もっと続けたい』という声をあげ、有志が立ち上がって横濱ジェントルタウン倶楽部が発足したんです。その事務局を『じゃあやりますか』という感じで私が引き受けました」(桜井悦子)

桜井悦子さん。横濱ジェントルタウン倶楽部では、福祉のまちづくりを目指すさまざまな事業に年間をとおして関わっている

「福祉のまちづくり条例」のマニュアルを制作する仕事では、宇徳ビルヨンカイに集結していたクリエイターのネットワークが大いに力を発揮する。掲載する建築図面やイラストを、建築家やデザイナーと協働して制作した。
 
「隣ですぐに打ち合わせができる気軽さがあって、まさに創造界隈を体感した仕事でしたね。その頃一緒だった若手建築家たちも今では出世しているので、忙しくて気軽に会えないと思います」(櫻井心平)
 
横浜のマニュアルはとても見やすいと評判で、他地域の自治体担当者からヒアリングがあったほど。さらに現在は、横浜プランナーズネットワークで制作している「まち普請」の事業をまとめる本づくりに、トキワビルのクリエイターネットワークが存分に活かされている。
 
創造都市政策や芸術不動産の立ち上げに関わってきた櫻井さん、自らを「ある意味ではクリエイティブシティの言い出しっぺ」と話す。
 
「『まち普請』の本づくりには、トキワビルに入居している編集の大谷薫子さん(本のモ・クシュラ)と、グラフィックデザインの岡部正裕さん(voids)が関わっています。近隣のクリエイターとともに仕事ができる環境は、これまでアーティストやクリエイターを誘致する活動を手がけてきた成果のひとつ。僕ら自身もとても助かっている状況が生まれているんだよね」(櫻井淳)

コミュニティが育つ“過程”を見るのが面白い

前の建築事務所では主に設計に携わっていた心平さんだが、櫻井計画工房では都市計画に関わる仕事が増えたという。調査やコンサルティング、リノベーションなど、都市にまつわるあらゆる“すき間”の仕事を手がける櫻井計画工房で、大事にしていることは何だろう。
 
「うまくいかないのは、クライアントの要求を鵜呑みにしているとき。クライアントの要求を整理して、あなたが本当に必要としているものはこれじゃないですか? と付加価値をつけて答えを出すよう心がけていますね。いろいろな失敗を経て、そう考えるようになりました」(櫻井心平)

櫻井心平さん。休日は子どもとの時間を大切にする、父親の顔もあわせ持つ

横浜プランナーズネットワークが関わる「まち普請事業」では、横浜市内の地域の拠点作りも手がけてきた。地域コミュニティのマネジメントについて、その実感をお聞きした。
 
「地域の人たち一人ひとりの居場所づくりは難しいんです。怒ったり褒めたりしますが、口出ししすぎないように、関わり方にはとても気を配りますね。コンサルは、見えないように去っていくのが一番良い。コミュニティが育っていくのを見ると、『人って変わるんだな』と感じます。その過程を見られるのが面白いね」(櫻井淳)

櫻井淳さん。黄金町エリアのまちづくりでは「エリアマネジメント」の発想でNPOをつくることを提案し、一時期は自らNPOの副事務局長も務めた

お話を聞いているうちに、私たち住民の気付かないところで、櫻井さんはトキワビル/シンコービルのコミュニティもコンサルティングしているのかもしれない……と思い当たる節が確かにあった。トキワビル/シンコービルには、現在いくつもの入居者有志の分科会が立ち上がっている。屋上にプランターを置いて、実際に食べられる野菜を栽培する農業班を盛り上げている櫻井さんは、「いろんな人が参加できて、“モノ”ができる。コミュニティを作るのに、農業は適しているんだよね」と話す。
 
また福祉のまちづくりを掲げる横濱ジェントルタウン倶楽部では、横浜の街を障害のある人と一緒に楽しむ「バリアフリー散策」や、点字で読める「触る地図」の制作などに取り組んでおり、最近では車椅子でSUPに乗る「車椅子SUP」のアイデアも出はじめている。活動の中で、櫻井さんは「障害のある人たちが自立できる状況がないのが問題」だと感じていた。
 
「その状況はアーティストも同じなんだよね。教育などの他分野に関わるなど、どのように仕事をつくっていけるかが今の横浜の課題ですね。『あそこにいるとビジネスチャンスがある』という噂が広がれば、さらにアーティストが集まって、結果的にトキワビル/シンコービルの不動産価値も上がるんじゃないかな」(櫻井淳)

横濱ジェントルタウン倶楽部が手がけるシンポジウムや、芸術不動産のフライヤーが積まれたオフィスの一角
口コミで広がった「触る地図」は、歩ける場所を点字で表している。この地図の製作依頼も増えており、横浜駅や羽田空港の「触る地図」も手がけた。横濱ジェントルタウン倶楽部の収入源のひとつとも言えるアイテムだ

このビルの未来、そして横浜の未来を見すえて考えることをやめない櫻井さん一家。「ビジネス分科会を立ち上げようか?」とビルの自治についても、話題の絶えないインタビューになった。

取材・文:及位友美+佐伯香菜(voids)
写真:中川達彦

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