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泰生ポーチ
アーティスト有志が開いた「KAIEさんを偲ぶ会」、思いを共有する時間に(前編)

Kaie Yoshi(KAIE)=吉澤香代子さん ©️BankART1929

2015~2017年まで、泰生ポーチに入居していたアーティストのKaie Yoshi(KAIE)=吉澤香代子さん。布をモチーフとしたインスタレーションや衣装などを制作する、エネルギーあふれるアーティストだ。2019年3月に他界されたKAIEさんの訃報を、ここ横浜でも、彼女を知るたくさんの人たちが驚きと悲しみで受け止めた。
 

去る6月21日・22日には、KAIEさんと親交のあった有志が「彼女に縁のある人たちと一緒に、いつも前向きだったKAIEさんへ想いを贈る時間」をつくろうと、「KAIEさんを偲ぶ会」を開催した。泰生ポーチ、泰生ビル、シンコービルの3ヵ所で展開したそれぞれのプログラムには、彼女との別れを惜しむ人たちが集まり、暖かい時間をもつことができた。
 

この会は、泰有社の伊藤康文さんと、泰生ビルに入居するnitehi worksの稲吉稔さんが中心となり立ち上げたもの。さらに会場の一つになったシンコービルのバー「tenjishitsu:Tür aus Holz 常盤町」を経営する内藤正雄さんを交え、会が立ち上がるまでの経緯や思いを、お三方にお聞きした。
 

●追悼回顧展
6月21日~6月22日 18:00~21:00
@泰生ポーチ1Fフロント
●KAIEさんを偲ぶ会
6月21日(金)
@会場1>泰生ポーチ1Fフロント 18:00~21:00
@会場2>tenjishitsu:Tür aus Holz 常盤町 19:00~23:00
●ダンサーによるパフォーマンス
6月22日 (土) 19:00~
@泰生ビル屋上

泰生ポーチで開かれた「KAIEさんを偲ぶ会」の当日。会場にはKAIEさんが制作した服や、ドローイング、装飾などが壁いっぱいに展示された。会のはじまりに、集まった人に向けてKAIEさんのご主人が挨拶された
泰生ビル屋上で開催された、振付家の苫野美亜さんによるパフォーマンス。KAIEさんが生前、衣装で度々コラボレーションをしていた苫野さんによる振り付けで、3人のダンサーがKAIEさん作の衣装で追悼パフォーマンスを行った

泰有社ネットワークのキーパーソンに――泰生ポーチにアトリエを構えた2年間

泰生ポーチに入居する前から、稲吉さんが運営していた若葉町「nitehi works」でのイベントや、内藤さんが運営していた古道具屋「Tür aus Holz馬車道」での展示、そしてBankART Studio NYKでのレジデンスなど、アーティストとして精力的に展示やイベントに参加していたKAIEさん。横浜での交流が広がったきっかけは、以前からKAIEさんとつながりのあった内藤さんが、稲吉さんとともにスタジオを構えた「ハンマーヘッドスタジオ新・港区」だったという。

「KAIEさんは都内に住んでいたのですが、僕たちのスタジオのオープンを頻繁に手伝ってくれていました。そこから交流がはじまり、nitehi worksでもいろいろなイベントに参加していましたね。KAIEさんが参加した『アップサイクル』がテーマのイベント『バカワネガコ』には、泰有社の伊藤さんもビンテージビルを再生するビルオーナーとして参加しました」(稲吉稔)

そのときはまだKAIEさんと実際には会っていなかった伊藤さんだが、彼女がウエディングドレスの制作を手がけたイベント「オープンウエディング」などの機会に、顔見知りになる。そしてKAIEさんが参加していたBankART Studio NYKのレジデンスに訪れたとき、ぐっと距離が縮まった感覚があったと話す。

「彼女はネットワークをつくるのが本当にうまい人でした。『レジデンスに遊びに来てよ』と誘われて行ってみたら、たくさんの人に紹介されて(笑)。いろいろな話をしたのを覚えています。そのときに『NYKのレジデンスは期間限定だから、どこか横浜に拠点をもちたい』と相談を受け、泰生ポーチを紹介しました。泰生ポーチでは入居者たちに声をかけて飲みに誘い、あっという間にみんなと仲良くなっていましたね。とてもバイタリティのあるアーティストでした」(伊藤康文)

泰生ポーチに入居する以前から、泰生ビルでは「さくらWORKS」改修時のコミッションワークへの参加など、泰有社のネットワークのなかでも大いに活躍していたKAIEさん。稲吉さんはそんな彼女の印象を「ネットワークを作るのがうまいというより、天然なんだよね(笑)。この界隈のキーパーソンでした」と振り返る。

左から内藤正雄さん、稲吉稔さん、伊藤康文さん。2019年7月某日、会場になったtenjishitsu:Tür aus Holz 常盤町にてお話をお聞きした

「いろいろなことをやらせてもらうよ」と伊藤さんに宣言して入居した泰生ポーチでは、使わなくなった布を集めてつくった布テントの「ティピー」を、屋上や1階(現在の泰生ポーチフロント)に持ち込み、たくさんのイベントを企画した。なかでも彼女の代名詞にもなった「夏至祭」は、花かんむりをかぶり夏至をお祝いする人気イベントに。
 

家や仕事は東京を拠点としながらも、このように横浜のクリエイターやアーティストとも浅からぬ付き合いがあったKAIEさんだが、そのFacebookページにご主人が投稿した訃報に触れたとき、誰もが驚きを隠せなかっただろう。彼女自身の強い意志で、体調の異変を語っていなかったからだ。
 

伊藤さん、稲吉さん、内藤さんは、今まで一緒に時間を過ごしてきた仲間だからこそ、「お別れができなかった」思いをそれぞれにもっていた。このまま時が流れていくことに、どこかやり場のない気持ちがある――。そんな思いからスタートしたのが、今回の「偲ぶ会」だった。(後編へつづく)

Kaie Yoshi(KAIE)=吉澤香代子さん ©️BankART1929

取材・文:及位友美(voids)/写真:中川達彦(ライトハウス)

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