横浜・関内のトキワビルに事務所を移転した、建築家の角野渉さん。「建築設計」、「学術研究」、「まちづくり」という三つの領域を横断して活動を行なっている。
一見すると異なる分野に見える活動だが、そのすべてがつながっている。建築を「未来のアクティビティを受け入れる器」と捉え、建築が生まれる土壌として、まちのあり方を考える。そして、まちの人々や地域の歴史を知ることが、建築の設計へとつながっていく。
今回は事務所移転を機に、建築とまちづくりを横断する活動の背景にある考え方や、地元である横浜への思いを伺った。
建築は、未来のアクティビティを受け入れる器
角野さんのインタビューのなかで印象的だったのが、「建築は未来のアクティビティを受け入れる器」という言葉だ。建物を建てる人、リノベーションをする人というのは「この場所で何かをやりたい」という希望を持った人たちである。つまり、建築とは未来をつくる行為なのだと角野さんは語る。
「大学では、使う人にとっての建築という側面だけでなく、それがまちのなかでどのような社会的存在になるのかを考える姿勢も学びました。すると社会課題にも興味が向くようになり、建築だけでは解決できない問題があるからこそ、『良い建築を生み出す土壌』としてまちづくりに関心が広がっていきました」
「ここに住みたいと思って家を建てる人、ここで事業を始めたいと思ってオフィスを構える人。そんな風におもしろいことを求める人が集まるまちには、結果としておもしろい設計の建物も増えていくと思うんです。自分がそういうまちを目指したいから、積極的にコミットする。それが僕のまちづくりに対するモチベーションです」
「政治から逃げない」まちづくり
角野さんが本格的にまちづくりに関わり始めたのは、大学院時代。生まれ育った横浜・山手駅前にある商店街の再生だった。約600メートルの商店街には、当時三つの商店会があった。それぞれにまとめ役はいるものの、商店会同士の関係は良好とはいえず、一直線につながる通りとして、「集客ができていない」という共通した問題意識を持つ機会もなかったという。
「商店街が地域のお客さんを呼べないというのは、地域の方々が日常的に集まる場所がないということ。買い物を理由に、近隣の住民の人たちが顔を合わせるような空間を生み出せない商店街になっていたんです」
そこで角野さんは、学生ながら商店会の間に入り、三つの商店会が垣根を越えて集まれる場づくりを始めた。イベント開催時には多くの地域住民が集まるようになり、会話の少なかったお店同士が言葉を交わすようになった。コロナ禍には店舗の救済補助金を商店街全体で情報交換しながら申請するなど、助け合う動きにつながっていったという。
「商店街が再生していく過程では、意思決定において政治的な問題に向き合わなければいけないことが多々ありました。立場や個性の異なる人たちがいても、うまくファシリテートして合意形成をすることができれば、ワンチームになっておもしろいことが生み出せる。商店街の再生では、それを実感しました」
角野さんは政治という言葉を、「自分たちに影響を与えることを、自分たちで決めていくこと」と捉えている。行政任せではなく、自分たちのまちをどうしたいのか自分たちで考え、合意形成を行う。現在、角野さんが副理事長を務めるNPO法人HamaBridge濱橋会の活動にも、この姿勢が息づいている。
「濱橋会は関内関外地区の商店会や町内会の若手リーダーがネットワークを組んで立ち上げた団体です。だから濱橋会で話す内容は、基本的にそのエリア全体の合意形成につながりやすい。 関内関外エリアで合意形成ができあがっていれば、行政も協力しやすく、合意形成と政策決定が両輪で進む状況になるんです。そんな風に、政治から逃げない姿勢が、僕のまちづくりのオリジナリティなのかなと考えています」
まちを知ることが、建築を変える
角野さんの建築設計を知るうえで、その考え方がよく表れているのが、横浜・伊勢佐木町にある老舗「川本屋茶舗 本店」(以下、川本屋)のリニューアルだ。創業120年以上の歴史を持つ茶舗で、角野さんは単に店舗を新しくするのではなく、店と地域の関わり方を読み取りながら設計を行った。
設計の軸となったのは、「日枝神社の例大祭」で地域の人々を迎える店の姿だ。伊勢佐木町六丁目に40基ほどの神輿が通るこの日、川本屋は毎年、店の前に長机を出し、担ぎ手たちに抹茶割りを振る舞う。汗だくになった担ぎ手たちが店先に集まる光景は、祭りの名物にもなっている。
「スタッフ総動員で地域の人たちを迎え入れている祭りの風景や、川本屋さんの地域における役割を知っていたからこそ、リニューアルでは『人を迎える』存在であることを、建物の『構え』として表現しました」
以前の店舗は、正面に大きなショーウィンドウがあり、その両脇に出入口がある造りだった。角野さんは、店舗の前面を5枚の引き戸にリニューアル。正面から人が店内に入ることができ、祭りなどの特別な日は、引き戸を全て開けることができるようになった。
さらに、日本茶に合う洋菓子や茶器など、さまざまな商品を扱う店の特性を考慮し、商品が多くても視線が散らからず、それぞれの魅力が自然に伝わるよう、陳列や空間のつくり方にも工夫を重ねた。
川本屋が大切にしていた「お迎えのホスピタリティを感じる施設であること」を軸にリニューアルを行なった結果、60代以上が中心だった客層は30〜50代中心へと変化し、店舗の売り上げも大幅に伸びたという。
「商店街というのは、一軒の店構えがそのまま商店街のまち並みの一部になります。なのであの商店街の一角を設計させてもらえたのは、自分がやってきたまちづくりの活動ともつながる貴重な体験でした」
横浜を「自分が世界で一番住みやすいまち」にアップデートする
もともとシェアオフィスを利用していたが、建築の模型を広げたり、クライアントとの打ち合わせで自分の仕事の世界観を見せたりするには限界を感じるようになり、関内にあるトキワビルへの移転を決めた。
「決め手になったのは、今の事務所に適した広さであることと、レイアウトのしやすさ。そして何より『手を加えられる自由さ』でした。さまざまなクリエイターが入居していることにも魅力を感じており、入居者の交流会は、建築のみならず異分野のクリエイター達ともお話しできるおもしろい場だと感じています」
角野さんは、既存の建物を別の用途へと生まれ変わらせる「コンバージョン建築」を研究している。古い建物を壊すのではなく、その建物が持つ歴史や空間の魅力を生かしながら、新たな価値を生み出す建築手法だ。
「コンバージョンの研究では、トキワビルのような雑居ビルをクリエイターの場所にする国内外の事例を見ることも多いです。そういった事例を見ると、ビルの入り口はまちと建物の接点になる非常に重要な場所。なのでトキワビルも、道を歩く人が見たときに、クリエイターの集まる場所だとわかるような入り口のあり方を、入居者のみなさんと考えていけたら楽しそうだなと思っています」
事務所を移転した今、角野さんはどのような未来を見据えているのだろうか。
「都市を扱う時はメートルやキロメートル、建築ではミリメートルを使います。これからも自分自身のルーツである横浜で、ミリメートルからキロメートルまでのスケール感をつなげて考えるような仕事をしていきたい。自分が培ってきた専門性を生かしながら、まずは横浜を、自分が世界で一番住みやすいと思えるまちにしたい。 同じように考えている先輩方や仲間たちもたくさん奮闘しているので、一緒に頑張っていきたいと思っています」
PROFILE
角野渉(かどの・しょう)
1級建築士、博士(建築学)
kadono design NODE代表、東京都立大学客員研究員、明治大学兼任講師。
2013年に首都大学東京(現都立大学)大学院で博士号を取得し、横浜で建築設計事務所kadono design NODEを設立。「建築設計」「まちづくり」「学術研究」を軸とし、それぞれの領域で精力的に成果を上げている。また「NPO法人HamaBridge濱橋会」副理事長、「大和町立野町内会」相談役、「(公社)YC&AC」顧問、「YOKOHAMAデモクラシー道場」主宰など、多様なチャンネルからまちづくり活動にも携わる。
取材・文:橋本彩香
写真:大野隆介(*以外)
