2023年12月18日まで、弘明寺のGM2ビルにある「アートスタジオ アイムヒア」で滞在制作をしていたのが、アーティストのユニ・ホン・シャープさんだ。
アーツコミッション・ヨコハマ(以下ACY)の助成を受け、3部作《ENCORE》の2作目《ENCORE II – Violet》制作に向けたリサーチを行った。小松川事件、関東大震災、朝鮮人虐殺。植民地主義がもたらした暴力と個人の痛みを回復するルートを探して、ユニさんは横浜で数々の手がかりに出会っていく。
「どこからいらっしゃいましたか」
《ENCORE II – Violet》で主題になるのは、1958年に小松川事件を起こした金子鎮宇(かねこ・しずお)という当時18歳の青年だ。在日コリアン2世で、李珍宇(イ・チヌ)という名前もあった。ユニさんが「鎮宇くん」と呼ぶ金子鎮宇は、日本人の高校生を殺害したことで死刑判決を下され、22歳で刑を執行された。
事件の背景には、日本社会における在日コリアンへの差別と、それに起因する彼の経済的困窮があったとされる。文化人が金子鎮宇の減刑と助命を求めて嘆願運動を発起したり、大江健三郎が事件を題材にした小説『叫び声』を執筆したりするなど、事件は日本社会の大きな反応を呼んだ。
『叫び声』では、金子鎮宇をモデルにした主人公・鷹男が「僕は、自分の怪物としての本質を、自分自身を信じています」と法廷で話すシーンがある。ユニさんはその「ただの怪物としての鷹男/鎮宇くん」のイメージが印象に残ると言う。
ユニさんは、在日コリアン3世として東京都に生まれ、その後、2005年に渡仏。フランスの芸術大学でパフォーマンス・アートを学び、現在はフランスの国籍を取得している。
今は、残された歴史や個人の記憶、アイデンティティの不安定さや多重性に向き合いながらパフォーマンス作品制作に取り組んでいる。2023年度にアジアン・カルチュラル・カウンシルとACYの助成を受けて《ENCORE II – Violet》の制作に向けたリサーチに着手した。
横浜へ来る直前、アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成を受けて渡った韓国で、ユニさんはソウルの植民地歴史博物館を訪れた。1923年の関東大震災からちょうど100年となった年であったこともあり、関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺についての展示が行われていた。受付スタッフがユニさんに話しかけた。
「どこからいらっしゃいましたか」
ユニさんは、体が固まってしまい質問に答えることができなかったという。
「受付の人はパンフレットを渡すために『何語を使うのか』を聞きたかっただけだと思うんですよね。でも、日本や韓国だと、第一言語とナショナリティが同一視されやすいじゃないですか。植民地歴史博物館という場所で、『日本語』と答えると、つまり『日本人』になるということの重みがまずあり、かといって『韓国語』を話す、つまり『韓国人』だとも言えなかった。そもそも韓国語はそんなに話せないし。意外だったのは、『フランス人です』とも答えられなくて。今まで、ナショナリティに関しては、強いパスポートをとっていく、みたいに、わりとドライに考えていたのですけど。聞かれた瞬間に、体がキュッとなって、頭が真っ白になってしまいました」
こうした予期せぬ体の反応に見舞われる中で、ユニさんは滞在先のアパートでたびたび鷹男/鎮宇くんについて考えていたという。
「博物館での体験の後は、ちょっと落ち込んでしまいました。誰とも話したくなくなったり、韓国料理も食べたくなくなったり。そのとき、たまに鷹男/鎮宇くんに心の中で話しかけていました。『あなたにはただの怪物でいてほしい』とか。在日コリアンの悲劇の象徴ではなく、ただの『怪物』。それは、私が自分の在日コリアン性に確信をもてずフランスに逃げて、『なんでもない存在』になろうとしたからかもしれません」
歴史の暴力が個人の体に発露することがあるのではないか。そう考えながら、リサーチの一環で訪れた済州島で、ユニさんは「回復の物語」をつくろうと思いつく。
「海があまりに綺麗だったので。ここなら、この国と、友達になれるかもしれないと感じました。友達だったら、つくってくれたご飯は食べたいし、おしゃべりもしたいんじゃないかな。自分で回復の物語をつくって、鷹男/鎮宇くんと一緒にそこにのってしまえと思ったんです。そしたら、なぜか元気になってきたんですよね。偶然かもしれないですけど」
こうしてユニさんは、鷹男/鎮宇くんに「ついて」のリサーチをするのではなく、彼と「一緒に」回復のための旅に出ることになる。
横浜でのオープンリサーチ「横浜をグラグラ歩く会〜地震・暴力・回復〜」
韓国でのリサーチを終えたユニさんは、アートスタジオ アイムヒアに滞在しながら、関東大震災における朝鮮人虐殺についてのオープンリサーチを行った。
ユニさんは、小松川事件の犯人であった金子鎮宇と朝鮮人虐殺のつながりをこう話す。
金子鎮宇と手紙を交わしていた朴壽南(パク・スナム)という映画監督が、事件の被害者遺族に会いに行ったことがあった。被害者の母は、子どものころに大震災を経験していた。彼女は「我々日本人は朝鮮の人々に大きな罪を犯しながらも、お詫びも償いもできていないとして、「どうして娘の不幸ひとつをうらんだりできるのか」と朴に話したとそうだ。※1
「朴さんが書いてないだけかもしれませんが、よっぽど不仲でもない限り、たぶん、娘が殺されたら悲しいし、怒りもあるじゃないですか。個人の痛みや感情が蓋をされてしまったのではないかと、もどかしく思って。蓋がされた理由には、罪悪感だったり、社会運動的な視点によるものもあるのかもしれません。社会運動はもちろん尊いし必要なものですが、いまは個人の痛みにもっとフォーカスしたいと思っています」
鷹男/鎮宇くんと共に、個人の痛みをどう回復できるかが《ENCORE II – Violet》のテーマとなった。オープンリサーチ「横浜をグラグラ歩く会〜地震・暴力・回復〜」は一般の参加者を募集して、3回行った。ユニさんが当たった歴史資料をもとに行き先を決め、関東大震災や朝鮮人虐殺に関係する場所を参加者や鷹男/鎮宇くんと一緒に歩いた。
理解できない鷹男/鎮宇くんと一緒に
参加者の中には、オープンリサーチをきっかけに朝鮮人虐殺を知って心を痛めた人もいたと言う。ユニさんは、ここでトラウマを抱える当事者と、支援者の関係を示したモデル「環状島」の話をしてくれた。※2
「ドーナツのような形をした、想像上の島です。真ん中には少し窪んだ『内海』というものがあります。トラウマを受けている人は内海にいる。だから、島の外にいる人たちには、島の中で何が起こっているかは分からないんです。でもたまに、内海から斜面を登って外に向かって発信する当事者がいる。それを見て『何かある』って思った外海の人が、外斜面を登っていくことがある」
虐殺に心を痛めた参加者は、外側の斜面を山頂に向かって登ってくれたのかもしれない。ユニさんは「私は内側から、鷹男/鎮宇くんが内海へまた落ちないように、斜面を一緒に登る気持ちでいました」と話す。
横浜市内の地形は、奇妙にも環状島に似通っているとユニさんは感じている。吉田新田として埋め立てられた入海は、関東大震災時によって火の海になり、そして生き延びた人々は小高い場所に逃げた。ユニさんは「環状島」は作品の重要なメタファーになるかもしれないと感じている。
ユニさんが鷹男/鎮宇くんと共に歩くのは彼を「理解できない」からだ。
「朝鮮人虐殺では、日本人と朝鮮人を見分けるために朝鮮人が発音しづらい言葉を言わせたといいます。私はやっぱり『言葉』、『言い間違い』、『エラー』など、とにかく言葉が気になっています。大江健三郎の『叫び声』もですが、怪物の叫び声は理解できない言葉です。理解できない言葉を話す人に、どうアプローチしていくかっていうことに興味があります。私が鷹男/鎮宇くんを題材にしようと思ったのは、彼をどう理解すればいいのか分からないから。断片的ですけど、アイディアはたくさん集まってきている感じです」
不確かながら回復の物語の手がかりを見つけ、どう紡いでいくかを思案するユニさん。作品の発表は1、2年ほど先になると話す。ユニさんと鷹男/鎮宇くんの旅路はまだ続く。
PROFILE
ユニ・ホン・シャープ
アーティスト。東京都生まれ。現在はフランスと日本を拠点に活動。アーカイブや個人的な記憶から出発し、構築されたアイデンティティの不安定さと多重性、記憶の持続をめぐり、新しい語り方を探りながら、身体/言語/声/振付を通じてその具現化を試みる。最近の作品に、パフォーマンス『ENCORE』、映像インスタレーション『RÉPÈTE』など。2023年度アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)フェロー。
取材・文:中尾江利(voids)
写真:大野隆介 *を除く
参考文献
※1 朴壽南『新版 罪と死と愛と』三一新書、1963、p.6
※2 宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』みすず書房、2007